「ウィキペディア日本語版と私」へのコメントとお返事

ウィキペディア日本語版と私 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wakeにいろいろコメントをいただきました。ありがとうございます。半月余りもお返事が遅れたことをまずお詫びしたく思います。

反響

わたしが直接みたのは、skypeや口頭での会話を除けば、ブログのエントリのコメント欄、はてなブックマークのコメント欄、メールでのご意見です。あるいは他所で話題にされた方もいるのかもしれないが、私は存じません。

ブログエントリのコメント欄では、長文のコメントをお二方からいただきました。コメント欄はいつもは匿名の方には開放していませんが、この件については本文中でもご意見をお願いした経緯もあり、コメント欄を開放しました(現在は閉じている)。なお、この件について頂戴したコメントはすべて承認しています。

ウィキメディア・プロジェクトの日本語メーリングリストにも先のエントリのことはお知らせしました。そのせいか、プロジェクト参加者の方おふたりから、メールをいただきました。一通にはすでにお返事申し上げています――それはお互いのプロジェクトに寄せる思いの発露の交換であり、私信のままにするのがよいと思います。もう一通はその方との間に事実の認識の違いがあるため、わたしとしてはこのブログの中で反論というかお返事というかを差し上げるのが至当だと思います。一度公開した件を再び私信のやりとりに押し込めるのはよくないと考えるので。ただ、この件に振り向けることが出来る気力と時間がいままではなく(してみると私にとってやはりこの件は対処するのに相当のエネルギーを要する件らしい)、というわけで私信の公開のご承諾を得るメールをいまだものしておりません。いやあ、大人語って疲れますよね、そうじゃないですか? 言い訳めくのでこの件はこの辺で止めます。ToDo には入れました。

エントリのコメント欄へのお返事に替えて

ブログエントリのコメント欄にいただいたコメントは、どちらもそういうものとしてありがたく拝読しました。ここに改めて記して感謝します。しかし私自身の意見は、お控え申し上げます。やはり同じコメント欄にすでに書いたように、わたしは顕名の方にのみ応答の責任を負うと考えます――匿名での発言についてだいぶ私の態度はやわらいでいますが、しかし発言者の同一性が捨象されるとき、それは私にとって対話の相手ではありえない。そのことは今でも変わりません。

ブログのコメント欄で指摘のあった「ブロック依頼」の議論がネガティブな感情に彩られているという意見はすでに以前から複数の方から伺っていました。読まないほうがいいですよと仰る方もいたほどでした。私も実は一度は目を落としたのだが、最後までは読めませんでした。一般論として、他人に憎悪などの黒々とした感情を向ける方のお相手というのは、せぬに越したことはないと思っています。挑発も同様。私は絶対平和主義者ではないのですが、好戦的な方を特に好ましいと思うわけでもないのです。

ブックマークでのコメント欄へのお返事

以上で、ある程度ブックマークでの皆様のコメントへのお返事にもなったかと思います。以下は、ここまでではご返答できていないと思うご指摘に、お応えしたいと思います。

id:koyhoge wikipedia, person 厳密性を求めるコミュニティへの同調圧力が根っこなのかな。

同調圧力 (peer pressure) って実はそれまで知らない概念だったのですよ。thx. 調べてみた範囲では、日本人論と最近よく組み合わされる概念のようですね。ただコミュニティというものは(その成立の仕方にかかわらず)ある程度同調圧力をもつもののようにも思います。それで、むしろ厳密性というよりはコミュニティの同一性をどこで確保するのか、同時に多様性 (diversity) をどのようなレベルで許容するのかということが、おのおののコミュニティにおいて次の問題になるのかなと思いました。

わたしのそれほど多くない見聞の範囲でも、ウィキペディア日本語版の編集者コミュニティは、ウィキメディア全体からみても日本語圏の他のFLOSSコミュニティからみても、やや異質なようには感じます。ただ異質であるということ自体は別に悪いことではない。なので私はとくにそれが変わるべきだとも思っていません――変化することで、わたしにとってより関わりやすいコミュニティになる可能性はありますが、それ自体は大局的にはさほど重要なことではない。その一方で、仮にそれが他と著しく異質なものだとしたらその異質性は何に起因するのか、そしてその特質はウィキペディア日本語版のテキスト生成プロセスおよびその生成物であるテキスト構造とどのように関わっているのか、あるいはいないのかということには、少なからず関心があります。創造的な行為と共同体との関わりというのは修士論文以来、自分にとって大きなテーマなのでね。まあ共同体を考えるならもっと理論的なところで仕事をしたほうが、自分にも他の人のためにもよさそうには思いますが。

id:ryuzi_kambe Wiki 普段目にしない Wikipedia のインサイダー情報。とっても貴重だからまたときどき書いて欲しい。

ウィキメディア関連ははてなに「ウィキペディアグループ」g:wikipediaというのがあります。そちらをみたほうがよろしいのじゃないかしら。わたしもそちらで日誌(g:wikipedia:id:Britty)を書いています(最近更新がまばらですけれど)*1。前回のエントリ、自分としては、とくに暴露的なものを書いたつもりはありませんし、これからもそういうものを書くことはないと思います。なお少し古いものですが、2006年に受けたインタビューでウィキペディアの編集コミュニティについてお話しています。英語ですがよろしければご覧下さい。

id:emonue ホーム云々は枕詞?/自身が政治好きであり、ダブスタも用いている

枕詞ではないですよ。「ホームなのだからあなたはウィキペディア日本語版を他より重んじるべきだ」という主張をされる方に、その主張は失当であると反論しているのです。政治好きというのは正直心外ですね。ダブスタダブルスタンダード?)というのと同様、具体的な論点の指摘がない以上、たんなる罵声のようなものとこちらとしては受け止めました。これはid:taloさんのご指摘にも同様です。

なお私に向かって再三この主張をされた方は、それがその方の思い込みでしかなかったという点に関しては、どうもご理解くださったように思います。私が誤解しているのではなければ。先のエントリを書いてよかったと思うことのひとつです。

id:complex_cat wikipedia 鰤亭さんの人となりの一部分。自分の分野で本気でWikiには書けない。最低レフェリーレベルの情報を披瀝すれば関係者に私だとばれのもあるが,矢張り書けない。Wikへの関わり方ではそういう状況が多々あるのではないか

まいどお騒がせしております、鰤亭でございます、てのはおいて、自分の分野で本気では書けないというのは残念ですが分かります。現にわたしも、自分の分野について(日本語版に)書いたのは、参加のごく最初の時期と、そのあとだいぶたってアカデミアで常勤の職を得ることを断念したあとだけになります(なにしろ学会があって母校や多少なりともなじみのあった大学へ行くたびに亡夫のことを思い出してPTSDの症状を呈し数ヶ月家に籠もりしていたので、これはもう自分には常勤を目指すのは無理なのだと悟りました。健康が第一です)。英語版などでは名前と所属を明らかにして活動している方がそれなりにいるので、これは日本の特殊事情なのか、それとも分野によるのかは、もう少しいろいろな方がご自分の問題として考えてくださるといいなあとは思います。

現在の心境

なにしろ12月というものは亡夫の祥月命日という自分にとって大きな節目のときなので、正直、ほかのことを考えるのはつらいのです。というわけでこのことについてもまだきちんと正面から取り組んで考えているという気はしていません。なんとか頑張って意識を振り向けてはみたけれど、まだ自分の頭をどこかに貸し出したような状態になっていて、頭が完全には回っていないようなところもある。

おそらく、いただいたご意見を消化して、真に受け止めて考えていけるには、まだ時間が必要なのだと思います。御海容いただければ幸い。一方で、みなさんの下さったご意見を読んでいますよ、それなりに考えようとはしていますよということを、ご意見くださった皆様やご心配くださった皆様にお伝えしたく、さしあたりのまとめとして、このエントリを書きました。

こんなんですが、引き続きご指導ご鞭撻いただければ幸いです。

*1:ただ、プロジェクト参加者を主な読者として想定していますので、プロジェクト外の方には読みづらいかもしれません。