友人との会話

Facebook に入っているとアプリケーションのおすすめが friends からいろいろと送られてくる。そのひとつを使っていると、「同性愛結婚にご賛同ください」という広告バナーが出ていた。

そのアプリケーションを私に勧めたのは、たまたま同性愛者だった。男性の。

それで、奴とたまたまオンラインのチャットルームで一緒になったとき、ネタにしてからかってみた(奴はもちろん以前から、わたしが原理主義異性愛者であることを知っている)。すると、彼は私が思っていなかった反応を示した。ものすごく動転したのだ。彼は同性愛結婚に賛成していなかったので、自分のメッセージにそんなバナーが付いたことにいたく不満であったようだった。彼はそもそも結婚制度に反対していたので、同性愛結婚にも賛成するいわれがないのであった(まあ筋は通っている)。

それがきっかけで彼のいろいろな愚痴をその場で聞かされることになった。曰く「同性愛者と呼ばれるのは嫌いだ、まるでセックスのことばかり考えているみたいじゃないか」「ゲイっていうのもやめてほしい、始終陽気で明るくなきゃいけないのか。そんなの、ただの馬鹿じゃないか」「そもそも」と彼の不満は続き、「ぼくは男を愛してる。それはそのとおりだ。だけど何でそれがセックスでくくられるの。まったく受け入れがたいよ。そもそもセックスと愛と同じものじゃないじゃないか」

わたしは新鮮な驚きをもってその言葉を聴いた――いやまったく、フランス人の口から出ることばとしては非常に新鮮だった。セックスと愛とおなじものじゃない、愛する aimer がそのまま性交をすることを意味する国で、それはどれだけ受け入れられる考え方なのだろう。そうして、彼の深い孤独を思った。

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