女子教育は反イスラム?

朝日新聞でこんな記事が出ていた。

イスラマバード=小暮哲夫】パキスタン北西辺境州のサワット地域で、女性への教育に反対しているイスラム原理主義勢力タリバーンによる脅迫で、女子校が閉鎖の危機に直面している。私立の女子校400校はすでに、冬休みが終わる2月以降も学校を再開しない方針を決めた。  地元紙ニューズなどによると、タリバーン系組織「パキスタンタリバーン運動」のサワット地域幹部が昨年12月末、「女子の教育は反イスラムであり許さない」と女子校教育をやめるよう要求。

http://www.asahi.com/international/update/0119/TKY200901190304.html

パキスタンイスラムといえば、わたし個人にとっては「英語版ウィキペディア等からの預言者ムハンマドの画像取り下げキャンペーン」の震源地というのがまず思い起こされるが、相変わらず斜め上なことをいっているなあ、とあたまにずつうがする。

女子教育が反イスラムなんじゃなくて、パキスタンのそのなかの一地方の古い因習と女子教育(さらには女性の能力開発一般)というのが相入れないというだけだろう。むしろたいていのイスラム圏では、女子教育は当たり前になされている。結婚したら妻を戸外には出さないといわれるベドウィンでさえ、児童期の子どもは男女関係なく小学校へ通わせると聞いた。昨年いったアレクサンドリアでは、女子学生が沢山いたし、会場であり共催団体だった国立アレクサンドリア図書館のICT部門の大会担当者はふたりとも女性だった。またお茶の時間には、教育関係の地元のNPOの人たちとお話をする機会があって、これにも女性の姿は珍しくなかった。そういうところのスタッフは、最低でも学部を出た教育のある人たちばかりである。

エジプトが特別なのではない。アレクサンドリアにはエジプトだけでなく、マグレブ地方や湾岸からの留学生がいて、それには男女の別はなかった。黒く長いベールをすっぽり被った湾岸からの女子留学生は、華やかな色使いの服を着て色をあわせたスカーフで頭を覆ったエジプト人女子学生のなかでは目立ったが、話をしてみれば、学生であることに変わりなく、現在の研究や将来の仕事の可能性を熱く語って、日本の学会であう女子学生とその点ではかわりなかった。また5人いた主要講演者のうち2人は博士号をもったアラブ人女性で(エジプト人レバノン人)、男女比率ということでは主要講演者中の女性比率は実は過去最大だったように思う。そうして彼女達は一様に、計算機とネットワークによる教育機会の拡大と貧富の解消への希望を、熱く語ってやまないのだった。

非アラブ圏に目を移せば、イランでも、インドネシアでも、女子学生は珍しくない。だいたいパキスタンだって、大学を出ている女性の大統領ってのがいたことがある。高い教育を受けた女性というのは、イスラム圏のあちこちにいるのだ。

もちろん、昔からそうだったわけではなく、いまでも男女格差がまったくないわけではないのだろう。貧困層では女子児童は親が退学させがちなので、男女の識字率に違いがでるときいている。また富裕層でも、やはり男女の間には違いがあって、すでに50代のあるエジプト人の女友達は、大学進学を希望したとき親から「大学へいくなら先に結婚しろ」といわれたそうである。そうしてその母親のときには、友人の祖父であり母親の父である人は「女が大学へいくなんてとんでもない、結婚しろ」といったそうで、ご母堂には選択の余地がなかったときいた。そういう、物分りの悪い家長たち――父親や夫、あるいは兄弟を辛抱強く説得して、そうしていまの彼女たちがいる。はつらつとゴムまりみたいに活発な、アレクサンドリアの女子学生たちが。

部外者であるわたしが頭にずつうが来てるんだから、彼女たちは「女子教育は反イスラム」というパキスタン人の主張に反発を感じているんだろうなあ。と遠く想像する。あるいは、それとも、予想の範囲内のこととして、微笑するのかしら。それとも何か、すでに行動を起こしているのだろうか。

理不尽な脅迫にさらされているパキスタンの女子学生とその教師たちの幸福と安全を祈りたい。