まえからとんでもだとはおもっていたけれど

これはまたなんだろう。

藤原棟梁が木津宗泉の門下だったから、平田も系譜のうえでは木津門下に入る。木津宗泉は武者小路家専属の数寄屋大工で、自分で茶も嗜んだ。昔はそんな棟梁が大阪にごろごろいたものだ。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0531.html

聿斎宗泉(資料*1を数寄屋大工とな。松岡正剛というひとが物を知らないのは西洋古典だけでなく日本の芸道についてもであったか。木津の家は、初代松斎以来、茶道をもって家業となす。茶室や庭を造る人が出ることはそのとおりだが、茶人がするのは設計までであって、実際の作事には別の人があたる。すなわち謂うところの大工である。大工の棟梁というのは作事をして家を建てる実際の作業に当る、木を切り、組み、以って一軒を建てるという実務に携わり監督をする人をいうのだ。名を奪われたそちらに対しても失礼なことだ。

だいたい家元家*2専属の大工というのは、他にある。この人は千家十職を知らないのだろうか。

これは昨日いった天王寺のことを書こうとしていて*3検索していて見つけたのだが、あまりにひどいのでこうして書き留めておく。

関連エントリ:

*1:ブックマークコメントでid:yachimonさんからご案内いただいた。記してお礼申し上げる。

*2:武者小路家という用字もおかしい。文脈から武者小路千家のことと取ったが、武者小路家とたんにいえばそれは公家華族の一家であって、茶道と直接には関係のない話。これもまたなんともおかしな話である。

*3:天王寺公園内の慶沢園は聿斎宗泉の仕事である。時間がなくていかなかったけれど、動物園の隣になる。