「知的障害者をめぐるお題ふたつ」へのコメントとお返事

知的障害者をめぐるお題ふたつ」へのコメントとお返事

知的障害者をめぐるお題ふたつ (追記アリ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wakeに沢山反響をいただきました。ありがとうございます。ブックマークコメントも、真摯に考えておられる方が多く、いつもそうですが、いろいろと参考になりました。いただいたコメントを読んでいるなかで、エントリを書いたときには見逃していた角度からも、問題を見直すことが出来ました。お礼申し上げます。

またTBも沢山いただきました。これはアテンションを集めたくてとくに取り上げるのですが、次のふたつのエントリは、知的障害者中等教育に関心をおもちのみなさまには、ぜひ読んでいただきたいと思いました。
資料とかもろもろ - S嬢 はてな
S嬢こと satomies さんのブログです。知的障害者の保護者の体験談というだけでなく、他の実践例などへのリンクがあり、興味深く拝読いたしました。また umeten さんの
「障害者についての記事」 - umeten's blog
では satomies さんのブログを含め、知的障害者中等教育にかかわるウェブ上の情報へのリンクをまとめておられ、参考になりました。わたしが未読のものも含まれておりますので、あとでゆっくり内容を反芻しながら読んでいきたいと思っています。

また、関連する話題を取り扱ったエントリをいくつか読みましたが、そのなかでも地域で生きねばならない理由は何処に - 泣きやむまで 泣くといいは示唆に富むよい論考だと思います。

さて未読のものがあると書きました。ですので、いまのところ、なにかまとめが出来る状態ではないと自分では考えています。関連しそうなリンクもまだ全部はみていませんし、ご案内いただいた書籍で関心をもったものにも未読のものがあります。一方で、それまで考えて見なかった論点を皆様にご教示いただいたので、それらを書き留めておきたいと思いました。ですのでこのエントリを書きます。まとめというよりは、中間地点でのメモ書きになります。またお目汚しで申し訳ありませんが、お付き合いいただければ幸いです。

前回のエントリを振り返って

エントリでは、知的障害者に関して、性の問題と、中等教育での統合教育の可能性の二点について言及しました。どちらも大きな問題で、そうしていろいろなことがからまっています。そういう難しい問題なのだということが、いちどエントリを書き、みなさまの反響を振り返って、あらためて実感されました――ただ、そのなかで、なぜ難しい問題なのかというのは、以前よりは、少し自分にみえてきたようにも思います。

ではなぜ難しいのか。自分なりにいただいたコメントをみながら思いましたのは、この問題はたんに知的障害者の支援体制をめぐるというよりは、むしろ日本の中等教育が未解決のまま引きずっている問題の派生バージョンでもあるのではないかということでした。そうして、それはたんに高等学校――後期中等教育だけでなく、おそらくは前期中等教育すなわち中学校も含めてそうなのではないかと気づきました。簡単にいえば、中学校とはなにをするところか、高校はなにをするところかという社会的な合意が日本においては実はそうはっきりしたものではなくなっていて、その混乱が制度のもっとも弱いところに現れている、そのひとつの例が知的障害者の高校進学という問題なのかなと思うのです。

逆に性の問題についてはあまり反応がありませんでした。もっともわたしたちは自分のものを含めてセクシュアリティについて多弁ではありません。まして他人のものについて声高に話すというのは、日本の言論界においてはなじまないのかもしれません。でも、無反応だったわけではありません。

id:WinterMute 教育, 障碍者, 良記事, あとで書く 自分は、「東金事件からの流れで」知的障碍者の性欲をピックアップすることには警戒します/性欲について無いものかのようにされている、という問題点には大いに同意、ただ日本社会全体の問題であると思います。

WinterMute さんの今後お書きになるものを楽しみにしています。

論点1・学校の役割

学校で何を身に付けて(そして願わくば)卒業していくのか、という論点から、いろいろな疑問や意見がコメント欄に見受けられました。

id:gfx education 「養護学校ではそれでも25%の卒業生がなんらかの職につく。普通高校への進学は、あるいはその可能性を完全にたってしまわないのだろうか」 支援が必要な者にその支援を与えないことによって起こりうる弊害として

id:hibigen 教育, 子ども 知的障害を持つ子を普通高校に進学させることにメリットはあるだろうか。私の周囲では、親は特別支援学校を希望し(田舎では就職率も高い)、ある程度社会スキルのある子は専門学校に行きたがる傾向がある。

id:mojimoji 教育, 障害 統合教育+必要に応じた個別の学習支援、てのが、月並みだけど妥当なところだと思う。分離教育は、互いの存在を知らない人たちを増やすという弊害を免れない。

id:yumizou 教育 「『いやそうではなく、0点でも高校へ入れてください。』と言うべきだと思いました」はわからなくはないが、入学さえできればいいのか?単位は?特別措置で卒業?就職は?高卒に期待されることを身につけられる??

また実例のご紹介もありました。この件では、satomies さんもいくつかリンクをご紹介くださっています。http://members.at.infoseek.co.jp/TOKOnews/TOKOhtmlback/TOKO131-140/TOKO139/3.htmは埼玉県の例ですが、東京都での実践例への言及もあります。

id:tzitou 大阪では高校進学事例があったはず。あと大学でオープンキャンパスとして知的に障害のある人に大学体験をしてもらおうというイベントもやられていたかな。

ありがとうございます。「大学でオープンキャンパス」については検索した範囲では実例を見つけられませんでした。差し支えなければ、直接に大学名をご案内いただければ幸いです。お返事をいただきました。「オープンカレッジ」とご訂正を頂戴しました。入学前提の見学ではなく、正規の過程以外で教育の機会を提供するということでしょうか。島根大学などに例があるそうです。

それで、大阪府・東京都・埼玉県には知的障害者普通科進学の例があるようです。また、satomies さんのご紹介された例では、神奈川県で、普通科高校に特別支援学校の分室を設ける形で、普段の勉強は特別支援学級で行い学校行事などで他の健常児生徒と交流を図る実践がなされているそうです。ただし、satomies さんによれば、この形での統合教育はあまり人気がないそうです。

うちは中学から特別支援学校選択だったので、この分教室についてはかーちゃんたちの話の伝聞でしかないのだけれど。へーと思ったのはそうそう人気があるわけではないという話。「本校とは離れている状態での進路支援が不安」「作業学習の設備が本校に比べて整っていない」。つまり高校生としての環境や、高校生としての学校生活。そうした交流態勢よりも、3年後の進路選択のためにそうそう交流ばかりを喜んではいられないという話だった。

おさかなさん探検 - S嬢 はてな

むずかしいものですね。また satomies さんにご案内いただいた「どの子も地域の公立高校へ! 高校入学相談会」中の事例では、普通科高校に進学したものの、7回留年(=8年在学?)したのち退学する方がおられました。そうかと思うと、同じ知的障害者の方が養護学校高等科には不合格、県立の高校には合格するという例もありました。むやみな一般化は、危険であり無益でもあることを、改めて実感します。

論点2・学校の位置

中学校を出たばかりの若い人たちにとって、ひょっとして高等学校は世界のすべてであるように、親には(そして本人にも?)みえているのではないだろうか、そうして社会もそれを反論するだけの答えを持たないのではないだろうか、とでもまとめられるいくつかのご指摘がありました。

id:rajendra 障害者, 教育 彼らが求めているのは「学べる場所」ではなく「ともに学べる場所」であるのだろう。学業とか将来の自立とかを抜きにして考えれば、それもまた幸せだろうが。

id:ttkk 普通校が社会の内側みたいな感覚があるんじゃ。養護学校出て就労するとまっとうな社会の一員とみなされるんだと思えばそうする人も多いんじゃないでしょうか

id:surumeno13 大学の時、サークルに小学校では特別支援学級にいたという人がいた。彼は情緒障害だったので一概には言えないけど楽しい仲間だった事は確か。/中高生って学校ぐらいしか社会と接点が無いのが一番の問題のような

中学校までの友達との交流の場がなくなることや社会とのその他の接点が保ちがたくなることが、普通校への進学を求める親の懸念だとすれば(これはあくまでも仮定です)、特殊支援学校と普通校のどちらに通うかどうかが影響しない、つまり学校の外での社会との接点が確立されることが、ひとつの答えになるのではないかと思いました。一方で、宗教的なコミュニティやボーイスカウトのような学校外の団体の確保しているコミュニティを除けば、そのようなものは一般的ではないのではないかとも危惧します。事はたんに学校へ進学する目的やそこでの成果にとどまらず、この年齢の子どもと社会との関わりが一般にどのようなものであるか、ということに関わっているのだろうなと思いました。

またブックマークコメントではありませんが、高校を「高等教育機関」とみなすご発言もいくつかのブログで拝見しました。これはたんなる錯誤であり、高校は中等教育機関です。なのですが、高校の教育段階における機能について誤解があることは留意したいと思います。知的障害者の高校進学とそのための特別な措置を支持するにせよ抑制的に考えるにせよ、そこで考える高校像が、誤解に基づく誤った予断に彩られているならば、その先に実りのある議論は難しいと思います。また、そうした誤解が、複数人に見られるということは中等教育一般に関する社会的合意が必ずしも安定していないことの反映である可能性も考慮しておきたいと思いました。

論点3:当事者とは誰か

id:kanimaster さんのご指摘はさすがだと思いました。恥ずかしながらこの視点はわたしにはありませんでしたが、いわれてみれば確かにそうだと感じました。

kanimaster 障害, education 知的障害者本人の声(インタビューとか)が全く聞こえてこないので、どの記事を読んでもリアリティが感じられない。

わたしは親の要望の内実が分からずに首をひねっていたのですが、家族会のページにも、取材した朝日新聞の記事にも、あるのは行政や親や新聞記者の発言で、子どもの発言はありませんでした。もちろん法的には親は未成年の子どもの権利要求を代行する権利を持ちます(と理解しています)。けれども、それは子どもの声を聴かずによいということではないし、子どもに意見がないということでもないはずです。知的障害者を取り上げた文書では、支援側のものにせよ、メディアの取材にせよ、親を含む支援者が本人を代弁しすぎている可能性があることを、それは(親御さんには酷な言い方かもしれませんが)教委などの行政側のものとは違う形でのパターナリズムでありうることを、今後は留意していきたいと思いました。

ここまで中入り

相変わらずまとまっていませんが、忘れないうちにと書いてみました。この問題について読んだり書いたりして改めて思ったのは、具体的なものは難しいということです。具体的で個別的なものは、いつも私にとっては大きな謎です。正直、途方に暮れなくもないのですが、ゆっくりと考えていきたいとも思っております。

再度まとまらない文章をここまでお読みいただきありがとうございます。今後ともご教示ご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。

一日一チベットリンク中国政府、チベット高僧の転生に事前申請を要求 国際ニュース : AFPBB News、2007年8月4日。だいぶ古いニュースなんだけれども。