仏教って知られていないよね

タイトルは釣りです、って書きたいけど、どうもそうじゃないみたいなところが残念です、というお話。

仏教って知られていないよね

長い引用になってしまったが、1980年代後半に『法華経』が釈尊没後初期にまとめられたと信じ込んでいた人がおり、しかもそれが相当な知識人だったことに私も衝撃を受けている。

http://d.hatena.ne.jp/touryuuuan/20090201#1233482775

私もコーヒーを噴きました*1。いやあまりの不意打ちに噎せておぼれかけましたよ。ウェブ閲覧中の飲食には今後気をつけようと思いました*2

『続・東龍庵雑事記』からの引用を続けます。

ただ、人文系ですら仏教史の知識はかなり仏教関係者以外は良く知らないものだったので、一概に中山氏・勝間女史を責められぬ所もあると思う。

バウッダ―仏教
これはその通りです。ご理解ありがとうございます。上に引用した誤解が噴飯物だというのを私がいま知っているのも、たんなる偶然です。大学を出て紹介していただいた非常勤講師の口*3が、たまたま、とある仏教系大学だったからで、それで仏教関係の本を少し読んでみようかなと思ったのがきっかけでした。それまでは実際上何も知りませんでしたね。ちなみにそのとき最初に読んだ本は中村元三枝充悳『バウッダ』でした。その大学の生協で買ったのです。平積みになっていたかどうかは、忘れました。

学部の頃には「日本思想史」というような講義がありましたが、それは記紀から古代の神観念成立を考えるという、刺激的ではありますが仏教とかかわりのない講義でした。高等学校には「倫理」科目がありますが、わたしは履修していません。あるいは倫理を履修していれば知っていたことなのかもしれませんが、あれは受験科目じゃないからなあ。どうなんでしょうね。ともかくそんなわけで、幾つかの仏教僧と宗派の名前を除けば、学校で仏教史について何かを学んだという記憶はありません――ナーガールジュナとか、どこで名前を覚えたんだろうな、なんか学校ではなかったような気もしないではない。世界史はとってたけど先生の趣味で爽快に東洋史はすっとばされた記憶があるもんで……というわけで、哲学科を出て思想史研究をしていてもこうなんだから、まあそうでない方に多くを望んでは現状いけないのだろうと思います。傲慢かしら。

日本が一応仏教国なんだということを考えると、それでいいのかという疑問は他人事ながら残ります(わたしは仏教徒ではありません)。ですが、そういうものだろうなとも思うのです。なぜか。

ていうか、一般に宗教って知られていないよね

三位一体説を奉じるはずのキリスト教徒でも、説明をしてもらうと、水と氷と水蒸気とかそれどんな様態的モナルキア主義ウィキペディア日本語版)みたいなことを言い始める人が出てきます。異端です。普通の教会なら異端です。でも毎週教会に通っているような方でもそういう方はいます。教義の細かいところなんて、逆にそうしょっちゅう話題にはならないからかもしれません。教義やまして文献学的な成立史・発展史の正確な理解というのは、案外触れる機会もないし、もともと難しいことなのかもしれません。

信者でこの理解の水準なら、そうでない方には正確な理解はまして難しいよねえ。というところを出発点に考える必要があるんじゃないでしょうか。あるいはまじめに教義の勉強をされている方でも、キリスト教での逐語霊感説、仏教の五時八教説のような、信仰を括弧いれした文献学的研究の立場からはいやそれはちょっとといわれるような微妙なところで頑張っている方もおられます。そうした方が信仰の立場からご自身の奉じる教説を強力に宣伝して、学術的に受け入れられている説の普及と相殺する可能性も考えに入れておいたほうがいいのかも。

とはいえ、こういう細かい話を喜ぶのは、信者・非信者かかわらずある種のヲタ的心性の持ち主だけなんじゃないか、あんまりぐたぐた細かい話をするとお客さん逃げちゃちゃうんじゃないかという危惧も、持っておいていいのじゃないかと思います。これは自戒を込めて。

仮説:知られていないのは露出がまだまだ少ないから

ここで「仏教史の基礎知識は、なぜ広まらないのか」という東龍庵さんの疑問に戻ります。ウィキペディア日本語版に(広報を兼ねて)書くとよいのでは、というid:activecuteさんの示唆を受けて、東龍庵さんはさっそく記事を見にいかれたようです。しかし

で、wikiの仏教史の項目を見たが、大体正しいようだ。

逆に何故これが広まらないのかよく分からない…

あえて偏見と独断で申しますが、露出が足りないからではないですか。広告でも、まずはひたすら露出を増やして商品名を覚えてもらうというのが重要と聞いたことがあります。その手のベタな努力がまだ必要だということじゃないのだろうか。たしかにウィキペディア日本語版はいろいろな方に参照されるサイトですけれど、間違った説明がそれ以上にいろいろなルートで流通しているときに、その影響を打ち消せるほど権威の確立したソースであるとは思いません。というより、わたしたちが普通に何かを読んでいて、そこに出てきた情報の裏をいちいち取るかというと、そういうわけでは必ずしもないように感じます*4

カトリック信者にして美術系ブロガーであるid:antonian さんが、昨日 TopHatenar の宗教の地に領土を獲得したと喜んでおられました(『泣き虫弱虫諸葛孔明』酒見賢一 我、ついにはてな村の宗教の地に領土獲得し、三国拮抗する - あんとに庵◆備忘録*5。それで知ったのですが、http://hatenarmaps.com で「宗教」に分類されているブログ、つまり宗教関係の話題がメインであると機械的に判定されるブログは、はてなの上位3000ブログ中、3つだけなのですな。あんとに庵さんと東龍庵さんと、id:ragaraja さん。これは他に宗教に関する話題を書く人がいないということを意味しないけれど(id:uumin3さんなどは、よいエントリを挙げておられますね)、そんでもやっぱりもうちょっと多くても、いいんじゃないかなあ。と思ったりもしています。少なくとも、宗教に関して現代の研究を踏まえた健全な議論が活発になされているという状況では、たぶん、ないよね、つうか。

もちろん、はてなダイアリーだけがブロゴスフィアではないし、私の巡回先でも良質の宗教関係ブログというのはあるんですが、書き方のスタイルが信者さんや同行の士に閉じてるのじゃないかなという感じは少しもっています。いや、身辺雑記書くならふつーそうなるよね、というのもわかるし、さらには神父さんなど聖職者の方が書く場合には、とりわけ司牧の職にある方は、ご自分の教区の信者さんをまず念頭においた書き方になることが多いだろうなというのも、理解しているつもりではありますし、宗教をたくとしてはそういうののほうが得てして面白く読めるのも確かなんですが。

逆にそういう責任を負っておられない、もう少し気軽に個人の立場から発言のできる、信者さんや宗教学者の方には、もうちょっと、そういうサークルの外にいる多くの読者を意識した書き物をしてくださると、お互いに幸せになれるのではないかと、未だいずれの信者でもない人文学屋の身の上からは、思いました。

一日一チベットリンクhttp://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009013000013。2009年1月30日。

*1:ブックマークには茶と書いていますが、あれは字数制限があるので。実際にはコーヒーです。

*2:最初からネタ系とわかっているところを読みにいくときは、あらかじめ策を講じるのですが、よもや真面目な仏教系ブログでこのような不意打ちを食らうとは……。

*3:現在はいっておりません。

*4:本サイトでも裏を取りきれずに、あるいは記憶の錯誤で間違ったことを書いているときは、時々あります。思い出したり指摘を受けたときには訂正を入れるよう心がけてはいますが……洩れもあるだろうなとは思います。

*5:氏はかなり昔からブログを書いておられて、実際には「領土」も数年前からもっておられるのだが、これまでは「恋愛」とか「労働」とかの地におられたようである。