ここまで東京・鰤端末版

id:dokomadetokyo さんのウェブサービス「どこまで東京」、各人のもつ「東京」の地理的拡がりを視覚化するサービスですが、わたくしのを作成・寸評していただきました。ありがとうございます。
【多摩にもいろいろ】brittyさんの「ここまで東京」 - どこまで東京?

鉄道路線の駅で「ここまで東京」と感じるところをプロットしていくのですが、私のは、こんなんがでました。

大きな地図で見る

細部の正確さについては疑問が残るのですが(設問に小田急たまプラーザ新百合ヶ丘*1唐木田間がないので、その辺りの情報が粗い)、まあだいたいこんなもんかなと思います(偉そう)。

福生は実は入れようか入れまいか迷いましたが、微妙に「あれは多摩であって東京でない」と思う自分がいたので、外しました。西の八王子も「あれは多摩だよね」と思う自分がいる一方「高尾山は東京にいれたいよね」とも思いましたので、そのお連れで入ったという感じ。飛び地が表現できるとまた違った結果になったと思います。南多摩、つまり稲城市や多摩市が入るのは完全に地元エゴです。わたくし、京王相模原線沿線に住んでいたことがありますので。つまり「あれは東京ではなく多摩である」という冷静な判断と「自分の活動エリアを東京と思いたい」かっぺ根性が相克して、見栄というか自分のアイデンティティを優先させたのですね。自分がいる/いたところが東京ってそれなんて俺様地図とおもうけど、そういう心理的地理感覚を表現する企画らしいので、よいことにしよう。

町田が東京であるというのは、回答時にはすっかり忘れていました。わたしはもともとは多摩住民ではありません。杉並区に10年住んでいました。都下に暮らしたのは3年弱です。それで多摩のことには実はあまり詳しくありません。dokomadetokyoさんからは「brittyさんは小田急線はそれよりはるか東の和泉多摩川を選択されてるんですよねー。」と京王線や新線では八王子までを含めたことと対比されてかコメントを頂戴しておりますが、この線引きは、多摩地区から南武線経由で東横線沿線の大学に通った感覚からきています。つまり「多摩川を渡るまでが東京」「川を渡ったら川崎」という体感ですね。町田が東京かどうかよりも、登戸が東京かどうかという選択を、そこでしたのだと覚えています。ところで、その感覚からすると、南多摩稲城市・多摩市というのはほんとうはもう東京ではないんだけど(だって多摩市はともかく、稲城ときたら、川の向こうにあって、主産品が梨で、ゴルフ場が複数あって、一番でっかい金融機関のひとつが農協なんですぜ)、そこは地元エゴで修正されちゃっているわけです。

そうして、川が境界なら、なぜ日野やまして立川が東京なんだという突っ込みが予期されるのですが、これはあの辺りの住民からみれば国立や立川は東京っぽい場所だということからきています。なお稲城は都立高校の学区だと国立や三鷹をあてがわれてました。そうしたバランス感覚の問題でもあるような気がします。また論拠ははっきり出せないのですが、南大沢を東京に含めた人は、立川や国立も東京に含めているだろうと予想します。

多摩=都下と東京を分ける感覚は杉並区時代に身につきました。その感覚からすると、実は吉祥寺ももう東京ではありません。「吉祥寺」という別の街です。ていか池のある公園があって電車でいく行楽地なので、ちょっとこう非日常なんだよね。杉並区民からすると。まあ自転車でもいけますけども。もっとも「どこまで東京」の他の方の回答をみていると、世田谷区民は世田谷を東京と思わない傾向が強いらしく、まあたしかに世田谷や杉並は三十五区時代には東京府内ではなく「豊多摩郡」と郡部であったわけなので、代々いる方の感覚としては、そうなのかもしれません。亡くなった母方の祖母は、神田生まれなのですが、当時は赤坂区山北町といった場所に移り住んだとき、もう田舎で田舎で東京に帰りたくて仕方がなかったと聞きました。この辺、同じ場所に住んでいても世代や家庭環境による感覚の差はだいぶあるだろうなとも思います。

ところで、これ、関西版があったら面白いとおもうんだけど、どなたか作りませんか?

関連エントリ:

*1:id:kanimasterさんご指摘により訂正。