チャットはあんまりよくない言語の練習法か

これまでのお話:

チャットはあんまりよくない言語の練習法か

チャットや掲示板で「英語を書く」ことを勧めた匿名ダイアリーの投稿者に対して、wiseler さんが次のようにコメントしています。

こういう風な体験をもとに、「英語に対してもっと積極的に」と主張される方は大勢いらっしゃいます。もちろん英語に対して積極的になることは良いことですが、その方法、あんまり良くないですよ。

http://d.hatena.ne.jp/wiseler/20090209/p1

さて、説得を目的とするエッセイを書く方法としては導入・複数の論拠・結論で構成するのが基本だよね、ということを前回のエントリで取り扱ったのですが、それはid:wiselerさんとも(つご^2さんとも)意見が一致するところです。今回は、wiseler さんのもうひとつの論点、「チャットや掲示板は『英語で書く』練習の方法としてはあまりよくない」を検討したいと思います。

私としては、「英語で書く」ライティングの練習としては、チャットはあまりよろしくない。しかし「英語で話す」スピーキングとりわけ日常会話の代替練習としては、チャットもそれなりに役にたつと考えます。なのでそれほど厳しく退けることはないが、限界については意識しておくべきだろうと考えています。

「英語で書く」ライティングについては、wiseler さんの御指摘が妥当し、あまりよろしくない、というより役に立たないと私も考えます。前回取り上げたような、まとまった文章を書く訓練にはチャットは役に立ちません。そもそもチャットではまとまった文を書くということはあまりありません。普通の会話と同じように、キャッチボールを楽しむのがチャットです。またまとまった文章を書くのに必要なのはたんなる文法力ではなく、構築的に論理を展開する力ですが、チャットでいちばん必要なのはその場のトピックに即時に反応するある種の瞬発力です(後述)。表現の形式も、使う能力も違うのですから、チャットではライティングの力は付かないという wiseler さんの指摘はもっともです。

ただ、もとの匿名氏のエントリはそういうことをいっていたのじゃないと思います。そもそも匿名氏は「今でもニューヨークタイムズに寄稿するような立派な英文は書けないですけど、言いたいことが言えて、伝えたいことが伝わっているならばそれ以上、何を望みます?」といっています。wiseler さんが「その先」を望むのはわかりますし、私個人もこの方のようには感じませんが*1、会話とライティングの間には実際には高低はないし、会話における表現の適切さとライティングにおける表現の適切さはまた違います。ここはちょっと wiseler さんが反論のために反論してるかなと思いました。

チャットの効用

チャットと長文のライティング、両者はそもそも質の違うものです。なので外国語を使う機会としてのチャットのコミュニケーションを wiseler さんのように全面的に否定する必要はないと私は考えています。そしてほとんどの日本人にとってインタラクティヴな外国語コミュニケーションの機会は希少でしょうから、チャットを退けてしまうのはもったいないなとも感じます。

チャットでいちばん必要なのは瞬発力だといいましたが、これはライティングと違いチャットが即時的であること、また相手があって初めて存在することからきています。たとえば日本の戦争責任だかなんだかについてあなたが「私は2つの理由でこれこれだと考える」と言い出したとしても、相手がきいてくれる保証はありません。相手が聞いてくれるような魅力的な切り出し方をしなければいけません。運が悪いと別の誰かがほぼ同時に発言してサーバにちょっとだけ早く到達した別の話題に、その場のみんなが食いつくかもしれません。場合によっては、議論の最中にいきなりログインしてきたある常連が「ねえみんな聞いて、わたし、(別の常連)と婚約したの」と衝撃の発表を行い、戦争責任だの何だのという不景気なトピックを吹き飛ばしてフリーハグ大会が始まり、あなたが頭の中で練り上げてきた論の展開などもう誰も聴いてくれないということも起こります。チャットでのコミュニケーションは、こうしたリアルタイムで不条理な状況で、トピックを維持し理性と感情を保つ、少なくともその訓練に役立ちます。

またチャットでは個人対個人のやりとりが基本ですから、感情を表す表現が多く使われます。ひとによって違ういろいろな言い回しに触れる機会も触れます。これは自分ひとりでライティングをしていても、それほどは出て来ない。またそうしたやりとりで使われる英語の挨拶には定型句が多くあり、とっさに定型句がでてくるのも瞬発力を鍛えてこそです。

チャットの限界

ただしもちろんチャットにも限界はあります。

まず、完全な即時コミュニケーションではないので、インタラクティヴといっても限界がある。誰かの発言が正確にどのようなタイミングのものであったか、それを正確に知ることは本人以外には不可能です。また顔がみえない制約も、とりわけ感情を介したコミュニケーションでは、あんがいに厄介です。この制約は英語のチャットだけではなくて、自分の母語のチャット上コミュニケーションにも当てはまります。ウィキメディアで毎年国際会議をやる理由の一つはここにあります。なので、実際に会って外国人の方と外国語で話す機会の頻繁にある方は、無理にインターネットでチャットをする必要はないでしょうね。

またチャットで使われる語には、スラングが多くあります。古いものは無線やCBに由来するそうですが、他のメディアでも時に使われる iirc (if I recall correctly) や asap (as soon as possible) といったものから、ほぼネット以外では使われない afk (away from keyboard, 一時離席)、lol (laughing out loud) まで、スラングが一杯。こんなのチャット以外のどこででも役に立ちません*2。こういうものが普通の文章を書くときにうっかりでてくると困ります。気をつけましょう。

そして「英語で書く」というもとの匿名のエントリが表しているように、チャットは即応性が特徴とはいえ、あくまでも文字ベースのやりとりです。口頭発話につながる要素を持ちますが、そのものではありません。会話能力につながる発音等の訓練には、シャドウイングなどで口を動かす訓練が欠かせません。チャットはオーラル・コミュニケーションと完全に置き換わる訓練ではなく、あくまでも代替物と捉えるべきかと考えます。

あと wiseler さんも指摘していますが、チャットルームのユーザの英語のレベルは「よくわからない不特定多数の人たち」のものだと思ったほうがよいでしょう。掲示板は私は詳しくありませんが、チャットに関しては一般的にはそれほど知的に上質な人が多いというものではないように聞いていますし*3、それを裏付ける経験も何度かしています。IRCでは、女の子を見つけて卑猥なことを言いかけるのが唯一最大の目的みたいな10代の馬鹿ガキは珍しくありません。そういうのが皆無のチャンネルもいろいろありますが、すぐ見つかるかどうかはかなり運に左右されます。*4そのなかで、irc.freenode.com の #nihongo チャンネルは、日本語学習中の人が多く日本人には親切なわりと落ち着いたチャンネルで、はじめて参加する英語チャンネルとして当たり外れの少ないところかなと思います。

*1:一番の疑問は「本当に『伝えたいことが伝わっている』といえるのか、確証しようがないという点にあります。

*2:afk なんか、もうメールですら使わない

*3:irc.freenode.com の #wikimedia はその点では安心してお勧めできますが、プロジェクトと関係ない人がいきなりおしゃべりに来て楽しいかというと……。オフトピックは多いけどもね。

*4:FLOSS 系のチャンネルはわりとみな落ち着いた雰囲気みたいですけど、みんなが geek なわけじゃないしねえ。