東京の日曜日あるいは辺縁に住むということ

id:shioyama こと翻訳家の Chris Salzburg さんと渋谷でお茶を飲んだ。以前は Global Voices の日本版?(http://jp.globalvoicesonline.org/日本語*1エディターだった Chris さんは、いまはそのポジションからは退かれて、しかし GV には引き続き関わっておられるよし、いま構想中のニュースを扱う新プロジェクトに関連してお問い合わせをいただいていたのだが、わたしが別用あって東京へ出た機会にお話をしようということになった。

Chris さんは、11月のウィキメディア・カンファレンス・ジャパンでのわたしの報告を聴きにきてくださっていて、そのときにお目にはかかれたのだが、座ってゆっくりお話をするのはこれが初めてである。もうひとりウィキメディアンのボランティアの翻訳者を途中から交えて、わたしたちは英語から他の言語へ翻訳をするということ、あるいは日本語の言説を他の言語圏へ紹介するということなど、おもに日本語と英語とをめぐって、翻訳をめぐるいろいろな話をした。

翻訳しづらい文章とそうでないものとがあるという感触をわたしは漠然ともっていて、それは Chris さんも同様であるようだった。意図してであれ無意識にであれ、ある言説はたいていその言語の読者をのみ目指して書かれている――そうして自分の言説のもつ単言語性に無自覚な文章、ある言語環境が暗黙の了解としてもっている文脈によりかかった文章、読者の範囲を狭く想定している文章は翻訳しづらい。そうした現象が、日本語の文章を他の言語へ翻訳するとき、あるいは日本人の英語を解釈するとき、そして一部の米国人の文章を英語から他の言語に翻訳するに往々にして起こるように思う*2アメリカ人の英語はほんとに翻訳しづらいことがあるよね、ウィキメディアでもヨーロッパ勢あたりからいつも突き上げをくらってますよと私が苦笑まじりにいうと、カナダ人で長く日本にいる Chris さんも笑った。

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午後から広尾のフランス大使館旧館へいく。No Man's Land (http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?article3719、会期2月18日まで)と題した展覧会をみる。最初は別の展覧会へいくつもりだったけれど、友人から勧められて予定を変更した。No Man's Landということを軸にいろいろなインスタレーションを集めている。すでに取り壊しが決まっている建物の、その廃墟性に注目した展示、あるいはフランスの日本における在外公館という場所の特殊性に注目した展示、あるいはフランスまたは日本に関係のある作家の旧作をならべた展示、わりあいに雑多な印象があったが、わたしにはそれなりに面白かった。取り壊しが決まっているのを奇貨として、そこここの壁面が大胆にペインティングに使われているのも、あまりないことで面白かった。ことにその建物が戦後20世紀フランスの機能主義を体現したかのようなそっけのないモダニズム建築であることには、軽い微笑を覚えずにはいられない。

冬の静かな日差しが満ちている中庭脇にしつらえられた、仮設の喫茶店に座ると、その向かいの壁面いっぱいに描かれたスーパーマリオブラザーズをモチーフにしたポップなイラストがよくみえる。そこでコーヒーを飲みながら、越境ということ、翻訳ということを考えていた。

どのような文章にも想定される読者があって、それはたいていのばあいある特定の言語の読者でしかない。グローバルな読者というのは実は存在していない。どんなに話者人口の多い言語でもそれは同様である。そこで翻訳が必要となるのだが、翻訳を介しても単言語文化を基層にしたものを他の言語環境に届けるのは難しい。そうして、単言語文化に生きている人たちに、とりわけそこでのコミュニケーションに慣れた人たちに、多言語環境への持ち出し可能性(ポータビリティ)の必要性を理解してもらうことにはいつも困難が伴う。*3

二つの、あるいは複数の文化が出会い、衝突する。それは意義のないことだとは思わないけれど、実際にわたしたちがその現場でみているのは、むしろそこで生じるストレスのわりにはささいな成果だったり、あるいはまったくの混沌だったりする。異なる文化に属するものをただ並べてみたところで、そこから新しいものが出てくるというわけではただちにない。ましてよいものがそのような安易な配置から出てくることはさらに少ない。それでも、まるで星を繋いで配置を考えるように、わたしたちはある言語から、ある表象の文化から別のそれへと架橋することをもうしばらくは倦まずに続けていくのだろう。それはひょっとしてたんなるおせっかいなのかもしれないけれど、でもそこから、わたしたちのおせっかいに触発されて、別の誰かの手で何か新しいことが出てくるという希望をもっていたいと、そう思った。

*1:事実誤認がありましたのでお詫びして訂正します。Chrisさんがなさっていたのは「英語版の日本についての記事の編集・作成」であって日本語版の制作ではありません。やや見苦しくなりますが事実の訂正なのであえて見せけちで残しておきます。

*2:他の言語間でこうしたことが起こらないわけではない。しかし自分の観測範囲ではこうしたことがたびたび起こっているのも事実である。

*3:なお、話題が飛躍しすぎるのでここでは展開しないが、プロプライエタリオープンソースの間にある問題も、広くは文化とその運搬可能性という問題の圏内にあるのではないかと思う。