藪の中

さて10月2日の岡崎市立図書館問題パネル討論会 (https://www.esd21.jp/news/2010/10/post-1.html) だが、スライドも公開された岡本報告 (http://d.hatena.ne.jp/arg/20101005/1286211802) はあまり話題にならず(異論のあるひとが少ないからかもしれない)、断片的情報ばかりが先行する嫌いのある大屋報告がもっぱら話題になっていて、なんだか皮肉なものだなあという気もする。

そのなかでまとめを作ってくださった方が何人かおり、どれもいろいろな示唆をあたえてくださった。みなさまの労作に感謝したい。だが、しかしまとめの正確さということについて気になる点がまったくないわけではない。そのことを備忘として書き留め、一例をあげておきたい。そのような違う読み方の可能性を意識して参照される限りでは、最初にリアルタイムで会場から届いた(そして最初の紛糾を準備した)ツイートを含め、どれも有益な情報だと思う。なお以下に述べることは「おおやにき」の関連エントリ(2)に私がコメントしたことのもう少し素直な書き直しでもある。

以下、報告者自身による要約をまず提示しておく。

  • だから同じように、「弱い個人」が安心して暮らせるような状態が必要だというのなら、国家がサービス提供者側に強力な統制を加えなければならないということになるだろう。金融庁のような役所を作って、インターネットで情報提供するものには免許が必要になるとか、許認可事業だとか、そういうことにしなければ「弱い個人」が安全だという状態は作れない。
  • でもそれは、情報を発信する側にとっても、利用者側にとっても、幸福な状況なのか。そうではないと思うとすれば、「弱い個人」が安心してなんでもできるというような状態を理想としてはいけない。
続・岡崎市立図書館事件(2) - おおやにき

ここに相当すると思われる箇所を朝日新聞の神田記者が要約したのが以下のツイートであった。当日の夜に書かれ、公表順では上掲の大屋エントリより前になる。

大屋さん曰く、サービスはきちんとしているべきだし、それを国家権力が支えるべきではある。しかし、国家権力がネットに介入することが果たして愉快なのか。利用者側が欠陥もあると考えながらリスクも覚悟して振舞ったほうが居心地が良いのではないか、とのことでした。 #librahack

kanda_daisuke
神田 大介

神田大介 on Twitter: "大屋さん曰く、サービスはきちんとしているべきだし、それを国家権力が支えるべきではある。しかし、国家権力がネットに介入することが果たして愉快なのか。利用者側が欠陥もあると考えながらリスクも覚悟して振舞ったほうが居心地が良いのではないか、とのことでした。 #librahack"

実のところ、神田さんの要約をみて私は最初たいそう驚いた。「国家権力がネットに介入することが果たして愉快なのか。利用者側が欠陥もあると考えながらリスクも覚悟して振舞ったほうが居心地が良いのではないか」というのはたぶんにリバタリアン的な主張に思えるが、著書やブログからみえるかぎりでの大屋氏の言説を、むしろそのような規制なき無際限な自由にそれなりに警戒するものとして私は把握していたからだ。一方で弱者を保護するために国家が強制力をもって規制を強化することへの警戒も大屋氏にはあって、いわばビュリダンのロバのように二つの悪夢の中間点でどちらへもいけず佇む獏を私は彼の立ち位置なのだろうと考えていた。

そういうエポケー的状況と神田さんの要約は明らかに違っており、神田さんの要約では大屋氏は一方の極へ大きく踏み出しているようにみえた。もとより私の理解は大屋氏の最近著によるものではないので、その間になんらか思想的展開があった、ということも可能だろう。いずれにせよ、まずは本人からのインプットが欲しく思い、てはじめにコメントを「おおやにき」のほうへつけた。コメント中3つある問いのうち、問2と問3が直接にこの問題系と関係する。

上で引用したおおやにきのエントリはその後書かれたもので、私としては私の疑問への直接への返答ではないが、いささか得心がいった。立場の変更はなく、二つの対立する仮言的命題のどちらもいまだ放棄されておらず、強い個人による規制なき「愉快な」世界か、「『弱い個人』が安心してなんでもできるというような状態」かのどちらを選ぶかは引き続き我々の自由な選択にかかっていて、報告者はそのどちらも特に推してはいない、そう私は引用部を解釈した。神田さんはその場にいた聴衆としてまた職業的な訓練を受けた書き手としてご自身の理解に一定の自負をお持ちのようだが、少なくとも上の要約については元の発話のもつ構造の全体をとらえ損なっているように私は危惧している。もっともそのあとのブログコメントをみる限りでは、この箇所についてはさらに別の解釈をする人もいるようで、報告者自身が再度少し説明を加える(あるいは著書のどこそこを読んでくれと参照点を示す)ほうが公衆のためには益になるのかもしれない*1*2

神田記者を批判する意図はない。おおむね筋の通った話にみえても仔細に検討していけば異論をまぬかれないのがこの手の再話であり、そのような二次情報をもとに何かを論じることの危うさ、いわばメディアリテラシーの重要さを改めて認識したというまでのことである。その意味でもよい勉強になったと思う。当日の諸報告について会場の一般参加者の立場からそれぞれの要約をご提供下さったみなさまに、改めてお礼申し上げたい。また小澤さんをはじめ、この会を設定してくださった主催者の方々には心からの感謝とともにお疲れさまと申し上げたい。

*1:このエントリを書いた後、大屋氏からWilfremさんという方にあてる形で簡潔ながら丁寧な説明があった。読者のみなさまはそちらもご参照されたい。なお問1はブログ上では大屋氏からご返答をいただいていないが、当日の報告のなかで検討された話題であるともその場にいた人からは漏れ聞いている。疑問に思っているのはid:mohnoさん他わたし以外にもいるようなので、どなたかが情報提供してくださるとよいのではないかと思う。ということを書いた直後、これも大屋氏からお返事いただいた御礼申し上げる。ただ、いわれていることの論理を理解したとは思うが、心情的には納得しがたいという気分を引き続きもってもいる。……って答えをもらったのは問1a.であって1b.と1c.には言及ないのな。いや私自身はそれでも感謝するに十分だと感じるが、しかしid:mohnoさんの疑問はそのまま残るんだろうな。むう。

*2:……というようなことをいった直後、他の方の質問へ答えるという形で回答がなされたので付記しておく。それぞれ問1b.はmohnoさんへの答、問1c.はメロンさんという方への答として提示されている。