おもえば遠くへきたもんだ・ブログ編

ブログランキングサイト [TopHatenar]というサイトがありまして、RSSフィードによる講読とはてなブックマーク数で、はてなダイアリーの順位を出してくださるのですが、昨日自分のエントリの集計分をみにいったら「鰤端末鉄野菜 Brittys Wake」の被ブックマーク数がちょうど4100になってました。121位です。

ご愛顧ありがとうございます m o m

ってそのうち150はセルクマ(セルフブックマーク)なんですが いやみんなセルクマしてるから総体としては誤差だよねそれは*1。と思いたい。ていうか思うことにする。自分のエントリーをブックマークしたらどうなるか - pikio公式ブログをみると、むしろ「時代はいまセルクマ」みたいでもあります(そこまでいってない)。

TopHatenar の集計では、RSSフィードでの被講読数は111でこっちも切り番です。こちらは順位はあんまり高くありません。887位で、でもおとといみたときには1000位以内にはいなかったので、自分としては嬉しいです。いつも読んでいただいている皆様、ありがとうございます。

鰤端末鉄野菜 Brittys Wake は実は2004年に書き出して、その後いろいろな事情があっていったんは書くのをやめたのですが、昨年の夏から再び書くようになりました。最初期のデムパブログぶりと現在のコンテンツ比較するとなんか違う人が書いているみたいだw と自分でも思います。デムパっていうか、始めた当初はちょうどドイツ神秘主義思想についての口頭発表を準備している最中で、そのメモ書きにはてなを使ってました。-site:hoge という技を覚える以前でしたので、検索避けにいろいろな言い換えを施していて、なので業界外の人がみるといっそうデムパにみえるんだろうな。なので古いコンテンツは普通の方は読んでもあんまりおもしろくないですよ/業界の方はだいぶ前の話ですんでさらに面白くないですよ とご注意申し上げておきます。

TopHatenar では実は以前からひそかに目標がありまして、とあるブログよりランキング上位につけるというのが野望でございます。そのブロガーさんはわたしと同窓で、研究科は違うのですが、大学の教育用計算機センターでいろいろお世話になりました。ていうか私はその人からワークステーションへのログイン方法を教えてもらいました。インプットメソッドの使い方もこの人から教わったんじゃないかな。はてなで書き始めたのも、この人と、あともうひとりのやはり同窓の友人がすでにはてなで書いていて、それを読んでいるうちに自分でも使ってみたくなったというのがきっかけです。日記サイトは1990年代からいくつか見ていましたが、トラックバックやさらにはてなキーワードなどがものめずらしくまた便利よさそうに感じたのですね。計算機ユーザとしてもブロガーとしても先達であるその人を名実ともに凌駕するのが、この泥沼道へ引き込んでもらったことへの恩返しかなあと勝手に思っています。

ひそかな目標にするくらいでございますので、いまでもその人のブログは読んでいます。わたしはRSSというのがなぜだか苦手でして、時間のあるときにまとめて読むのが好きです(HatenarMaps http://hatenarmaps.com/ はその点まとめサイトとして便利で、愛用しています)。というわけで昨日ひさびさにそのブログを読みに行ったのですが、ある記事へのブックマークコメントが目にとまりました。

id:kanose ネタ TimeLineで精子談義がされているのを見て入り込めないと思った/普段なんばさんのブログを見ている人はこの記事を読んで困惑してそうだ

はてなブックマーク - kanoseのブックマーク / 2009年1月9日

これかあと思いました。いままでそのブログを読んでいて感じていた微かな違和感の正体はこれかあ。いやこの人、っていうか名前を伏せる意味がありませんのでもう名前を呼びましょう、なんばくん(id:rna)はまじめないい子だけれど、それはなんばくんの一面でしかありません。寒い対応に困る微妙な悪意のこもったエロエロなギャグ(そうして当然周りには何事もなかったようにスルーされる)を振る nerd で enfant terrible な一面がなんばくんにあったことを、わたしは何故だか忘れていました。今のなんばくんは猫をかぶりすぎだと思います。それとも、これが成長するということなのか……? いやそれならそれでいいんですけどね。

話がえらい飛んでしまいましたが、生存報告も兼ねて、これからもよしなしごとを書き連ねていこうと思っています。よろしくおたのもうします。

一日一チベットリンクサーチナ-searchina.net

*1:なおセルクマ分を引くと131位になりますです。id:lovecallさんとid:gatonewsさんの間ですね。

かねやすまで

「どこまで東京」id:dokomadetokyo というよりは、ブックマークコメントを見ていて思いだした話。

以前ちらっと書いたことだが、わたしの母方の祖母は神田の出だった。紺屋町の染物屋の娘で、それなりの店構えではあったらしい。山形は鶴岡から丁稚奉公に来た祖父が暖簾わけして、御徒町の竹町に洗張屋を出したのと、一緒になった。祖父は仕事が丁寧で、下谷警察署の署長さんの仕事もしていた、仲人もしてもらったのだとか元気な頃自慢話をきいたことがあった。

戦争でその小さいながら静かな生活が一変した。まずクリーニング用の機械などの金属用品が供出でなくなった。空襲が激しくなって、みなは祖父の実家に疎開した。祖母にはつらい時代だったらしい。そうして戦争が終わって、家は実は焼けていなかったにもかかわらず、一家は行き場を失った。

疎開中に誰かよその人が入り込んでいたのだ。

当時の東京であるから、土地は地主のもので、家作だけは新しく建てた。ちょうど百円だか千円だかだったと聞いている。だから建物は祖父の名義だったが、人がいたのではばかったのだという。「その人も行く場所がなくなっちゃうからねえ」と祖父は後年いい、祖母はそのたびに「おじいさんは人がよすぎるんだよ」と怒っていた。そうして、譲ったあと行く場所があればよいが、そういうものでもなく、祖母の実家でもできることがそうあったわけではない。そのうちに戦災者対策で、青山のいまはブルックスブラザーズの裏にあたる場所に、戦災住宅というのが立つことになった。いまでこそ鉄筋コンクリートの5階建ての建物だが、戦後すぐであるから木造の長屋である。庭もついて、そう悪いものにはわたしの目からは見えないのだが、しかし祖母は東京の人であるから隠田(いま青山といっている場所は昔は隠田 おんでん といった。浮世絵などにはこの名で出てくる)などは地の果てへ行くような気がしたらしい。行き場がない状況でなかったら、到底引っ越さなかったと思われる。

当時は青山通りにも商店などそうは多くなく、そうかといって江戸時代とは違い周りに農家があるほどではもはやなく、微妙に中途半端な場所だったらしい。闇米など買いに郊外へいくときには省線を原宿から乗り降りするのだそうだが、表参道の周りなど何もなかったそうで、竹下口から駅を出ると、当時は原宿駅というよりは明治神宮前の交番から丸見えだったそうで、それを警邏に咎められる前に米を背負って住民は竹下通りを駆け抜けたという。

そのうちに、祖父は本業である洗張屋の再興を諦め、国分寺の工場へ勤めに出た。高度成長期のことでもあり、中央線の沿線に家を建てるという話が出た。そのとき建てておけば、国分寺市小金井市かあたりで、いま相応の値になったろうし、それはおいても祖父の通勤はだいぶん楽になったはずである。しかし、その話は流れた。祖母が大反対したのである。隠田の暮らしにようやく慣れたところで、多摩は国分寺など、祖母にとっては想像を絶した鄙であって、そうして疎開でどれだけ嫌な思いをしたのかはわたしの知るところではないが、田舎は嫌だというのは祖母の脳裏に深く刻まれたのだろう、祖母の反対をみて祖父はその話を諦めたそうである。

ふと、そんな話を思い出した。

オバマ米大統領の就任演説(字幕付き)

5分割されています
Part I: http://en.yappr.com/welcome/Video.action?videoGuid=8597BF15-2C39-45CA-8C6B-19AEFFC9DFA1
Part II: http://en.yappr.com/welcome/Video.action?videoGuid=E2842F1A-BAFD-4B46-8CF4-59EB4D80FE2B
Part III: http://en.yappr.com/welcome/Video.action?videoGuid=81DA197B-62E4-4013-BAB2-37B32B426CCA
Part IV: http://en.yappr.com/welcome/Video.action?videoGuid=B350ACB7-1462-43EB-BB76-EB817B93D77F
Part V: http://en.yappr.com/welcome/Video.action?videoGuid=CAED0D7B-A93E-4FB7-BA79-BBE031AE0A0F

年頭からこのかた最近は早寝早起きだったにもかかわらず、今週は突如として朝がゆっくりめになり、起きると12時過ぎ(節子、それ朝やない、昼や)、これはいかんなー、ホルモン食べにいくのにこれでは遅刻するやないかと困っていたわたくしですが、昨日なぜだったのかようやく得心しました。

US President Inaugural Speech. 生中継で。これを聴くためだったんですね! 普段の日付が変わる前に寝てしまう生活では、生は見られなかったでしょう。夜更かしぐせがついたおかげで見逃さずにすみました。中継自体は ustream.tv で見ました。力強い、率直な、よいスピーチだと思いました。We を効果的に使っていて、国難をみなで乗り切ろうというメッセージが明快に伝わったように思います。スピーチライターはだれなんだろう。聞きながら、これはニュースよりはゆっくりだし、テキストも品があって繰返し口ずさむのによさそうだな、いいシャドウイング教材になりそうだと思ったらChakoandoさんがすでにリアルタイムで実践しておられました。さすがだ。

そうしていま字幕作成サイト yappr.com をみてみますと、動画つきでしっかり演説の全部があがってました。GJ!

embed できないので、リンクのみご案内します。字幕だけではしんどい、と思われる方は、各種ある翻訳文も参照されるとよいと思います。ウェブ上にある翻訳の一例を挙げておきます。

さて、土曜日に向けて昼夜逆転を直さなくっちゃ。

追記:
http://akihitok.typepad.jp/blog/2009/01/post-39f2.html 経由:
New York Times の subtitle のほうが、yappr より操作性がよさそうです。動画が分割されていませんし、スクリプトの一覧性が高く、スクリプトをみて対応する部分の動画を指定する機能などもあるような。

Analyzing Obama’s Inaugural Speech - Interactive Feature - NYTimes.com

お好みでどうぞ。

追記:
大統領就任演説以外も聴いてみたくなった方にはこちらがおすすめです。
オバマ演説等まとめ - 一法律学徒の英語と読書な日々

昨年の大統領選での指名受諾演説や勝利宣言、さらに敗れた他候補のものもあります。すべて動画・スクリプト・翻訳へのリンクあり。労作です。