英会話がうまくなくたっていいじゃないか

ほとんどの会話が英語で行われる某ボランティア団体の国際会議に2006年から毎年出席してますが、英会話がうまくなる必要性はないよねえ、と思います。その思いは年ごとに強くなる*1

言語運用能力、たしかに最低限は必要です。でも中学校から高校までの英語力で十分ではないでしょうか。あとは自分のジャンルに必要な語彙と若干の聴き取り能力(BBC World や PBS のような、スクリプトのあるものを聴くとよい)があれば、しらふでのコミュニケーション能力は十分かと思います。あとはその水準を維持できればよい*2

ということを「英会話がうまくなった気分になる5つの言い回し」を読みながら、朝思いました。しかし、このタイトルはうまくついてるね「うまくなる」じゃなくて「うまくなった気分になる」だものね。そして樋口理さんの「揚げ足取り [「英会話がうまくなった気分になる5つの言い回し」が惜しい件]」にすでに突っ込みがあるように、この記事を書いている方の英語はどちらかというと残念な部類に属します。動詞の区別と形容詞の区別や、定形*3不定形の区別がついてないとか、正書法を知らない*4とか。でもそれはたぶんどうでもいいことで、そのくらいの英語力でもコミュニケーションには困らないですよ? ということのほうが、たぶんもっと大事。

私の英語能力というのもたいしたことはなく、自分で気がついている間違いとしては単数複数の区別が甘く、動詞支配(主語・動詞の数の一致)が甘い。たぶん三単現定形を無駄に意識しすぎていて、それでたまに "We presumes”とか "It affect" なんていうことをいう。それでも特に重大な支障が生じたということはありません。

一点だけ、英語的な言い回しということでいえば、上の記事中(ブクマコメントでも書きましたが)"like" と "anyway" は逆に素人はやめといたほうがいいだろうと思います。『フルハウス』という sitcom でなんでも "anyway" (吹き替えでは「どうだか」)という男の子が、ちょっと知恵遅れのようにみえるがそうでもないというゲストキャラで出てきましたが、そういう「アホの子の扱い」をされるリスクがこの手の無意味な挿入句にはあります。口癖になっている人はともかく、これからわざと使うような単語でもないと思う。英語らしく聞こえるフレーズをつまみぐいで覚えてコンテキストも省みずに使うことにはリスクがある。

それよりは、自分のいつもの会話を、ややゆっくりでいいからはっきり聞こえるようにきちんと話すのでいいと思う。日本人はなんのかんのいって丁寧な――あるいは日本語の通常の発話が要求するポライトネスの水準が、比較的高いところに設定されていることと関連するのかもしれない――教育水準の高い人が多いので、普通に喋っているだけで「上品で知的で親切で素敵な人」という評判を獲得できる可能性は高いかと思います*5

英会話で伸び悩んでいる人がいるとして――私がはまっているような単純な文法的間違いを超えたところからは――必要なのはあれこれのフレーズではなく「私は意味のあることを喋ってるんだし、あんたらはそれを聴くべきである」という深い静かな自己確信ではないのかな。*6

*1:むしろそこで大事なのは「人の顔をおぼえる」「大きな声で喋る」「自分の話したい話題をうまく持ち出す」の三つの能力ではないだろうか。そしてどれもが単純な言語運用能力の問題ではない。

*2:それには定期的に使う場を作るのが大事ですね。ラジオ講座でも skype chat でも英会話カフェでもなんでもいいので。ということは仕事で普段使っているような人なら、そういう場ってことさらに必要じゃないのかもしれないですよ。

*3:いわゆる「単数三人称現在のs」

*4:文頭は大文字、句読点の後ろは1スペース開け等々。

*5:日本人は平均してそういうことになっています。そのようです。まあ、海外にいっておとなしくなる人が多いからかもしれませんが、いつも人数分+アルファのビールを持ち歩き「おれのおごりだがねえへへへ。飲まず逃げはゆるしまへんでぐへっへへへ」というキャラだと思われるよりは、おとなしくて上品だと思われるよりは大抵の日本人にとってあとあとやりやすいのではないでしょうか?

*6:もちろん他人が話をしているときには自分が聴く側に回るという前提で。