おまえらもっとはっきりしゃべれ

いいプレゼンは短く、分かりやすく、かっちりまとまってる。分かりやすい単語と文で書け。出来る限り平易な言葉遣いで。レトリックの技を駆使して雄弁を披露しようとか考えない。単語を沢山知ってることを見せびらかすのも駄目だ。理由は簡単、ほとんどの読者(奴らは普段英語を話さない)はそんなものわからない、頭をひねってそれでおしまい、だから後には退屈だけが残る。一例をあげる。駄洒落や言葉遊びはここではご法度――実際、駄洒落ってのは言語表現のありとあらゆる技法の中で一番翻訳しづらいのだよ。

プレゼンが難しければ、その分国際的には理解されなくなる。投票者*1の2/3は英語を母語としないだろうってことを覚えていてほしい。2006年の投票者のうち、おおよそ 2/3 の母語は英語じゃなかった。

といって口語風にやれといってるのじゃないよ。口語的表現はネイティブ・スピーカーには理解されやすいんだが、非ネイティブには逆に分かりづらく、だから翻訳も難しい。……(中略)……

もういちどいう、難しい、複雑な言い回しは使わないで欲しい。易しい言葉で分かりやすく話してほしい。自分の考えをもっと精確にいいあらわすことが絶対に必要だと考えてるなら、簡単な英語で書いたものと、おそらくはそれより複雑なものと、二つの文書を用意することをお勧めする。

Wikimedia Foundation elections/Board elections/2007/Candidate presentation guidelines/en - Meta

むしろこれから起こるのはネイティブイングリッシュの破壊であるとか - かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)を拝読して思い出した昔のエッセイ(共著)。他言語に翻訳されることが前提である文書をどのように書くべきかという、昨年、ウィキメディア財団理事選の候補者のために書いた文章の一部である。機会の産物だが、根底にある「国際的に理解される英語≠ネイティブが賞玩するような技巧的な英語」という考えは、他でも通じると思う。なお全訳を別の方が作ってくださっている。そちらも参考にしていただきたい。

この文書を作った背景には、それまでの過去三回の選挙の際、翻訳を行ったボランティア複数からいろいろな不満が出たことが大きい。私はそれまで選管*2かつ翻訳コーディネータとして、選管や候補者から出るさまざまな文書の翻訳作業を管掌してきたのだが、翻訳しやすい文書とそうでない文書の差は、そのまま翻訳される文書とそうでない文書の差となって*3、それはコミュニティ間の情報格差と候補者間の選挙公報の格差という二つの情報格差につながり、あまりよろしくない。そこで選挙管理委員会としては選挙における公平を可能な限り実現するという目的で、候補者のほうに自制を求めたというわけである。

選挙文書という特殊事情もあり、候補者所信には字数制限を設けている。このときは1000ワードを基準とした。すると限られた字数で自分の主張を盛り込むためにやたらと複雑な単語を使う候補者というのがでてくる*4。そうした文書は勢い翻訳されにくい。さすがにそのことに直接不満を漏らした候補者はみたことがないが、選管なり財団なりが責任をもって翻訳者に翻訳「させる」べきだと主張する候補者もいなかったわけではない*5。それで、ボランティアのサービスに頼る以上は、依頼する側にも一定の配慮を要請する、というアプローチを取ったのだが、このガイドラインの効果かは知らず、このとき2007年の翻訳状況は過去の3回よりはずっとよくなった。

なおアメリカ人の調子のよい大盤振る舞いな、悪くいえば空疎な表現って翻訳できないよ*6、という苦情は結構あって、しかしそこで日本人が苦情をいう例を私はあまり知らない。これはある意味美質ではあるのだが、日本人は分からない表現に対し、どうも自分の英語力が足りないためと考える傾向が過剰にあるように思われる。しかし相手が分からないことをいっているので分からないということだってありえて、さらにほんとうに自分の言語能力の問題だったとしても、いまどきであれば自分ひとりで悩むより「どういう意味?」とメール一本書く、あるいはその場に二人ともいるのならその場で訊くほうが早くて正確なのかもしれないのだ。職業として有償で翻訳や通訳をする人ならば知らず、対等な立場でのコミュニケーションであればこそ、「俺にわかってほしいなら俺にわかるように喋れ、もっとはっきりわかりやすく喋れ、おまえが何をいってるのか悪いが俺にはわからないよ、俺はおまえがなにをいってるか分かりたいんだ、もっと歩み寄れ」と相手にいうべきなのではないだろうか――相手が何をいいたいのか、ほんとうに理解したいと思っているのなら。

一日一チベットリンクhttp://sankei.jp.msn.com/world/asia/081122/asi0811222042004-n1.htm, 2008.11.22 20:41

*1:というのはこれが本来ウィキメディア財団のボランティア代表選出選挙のための候補者向け文書だから

*2:数人のボランティアでやっている。私は2005年から関わって、これを書いた2007年には委員長を務めた。

*3:今回訳出しなかった部分では、そのことを述べている。

*4:2006年9月のときは2人ほどそういう候補者がいた。2人とも非ネイティブスピーカーだが英語にはそこそこ自信がある、そういう人たちだ。非ネイティブがネイティブ並みの英語力を誇示しようとする、それが逆に理解の障壁になる場合もある。

*5:なおその候補者はそのときの選挙で最下位の得票であった。ボランティアは一般に他者の奉仕を当然の権利として要求する者には厳しいのである。

*6:やたらにインフレ気味な肩書きなどはその一例である。