ドイツにもギリシアにもサンタクロースはやってこない

クリスマスにはサンタクロースがやってきて贈り物をくれるという俗信を私も物心ついた頃には覚えていたのだが、しかし世界中そうだというわけでもないということを長じてから知った。

キリスト教圏ではクリスマスに贈り物をするというのは割に広まっている習慣なのだが、しかしヨーロッパの多くとりわけ旧教圏ではサンタクロースというものはいっそうクリスマスとは関係がない。サンタクロースというのは元来はアメリカの移民の俗信である。元来のヨーロッパの風俗ではない。どうもサンタクロースとクリスマスを結びつけるのはそもそもはオランダあたりの習慣で、そこではシンタクラースといったらしい。聖ニコラウスの転訛だといわれる。オランダ人は一部北米へ移住して、ニューアムステルダムといわれる町を作った。七年戦争のときだか、イングランドにこの町を譲ったのがいまのニューヨークの発祥で、そのあたりからサンタクロースというのが出てきた。サンタクロースというのは、つまりアメリカに移住したプロテスタントの間の風俗で、ヨーロッパ全般の風俗ではない。

旧教圏でと特に断ったのは、サンタクロースの元になったといわれる聖ニコラウス、ギリシア語でいうならミラのニコラオス*1は確かにいくつかの地域の言い伝えでは贈り物をもってくるのだが、それはクリスマスではなくて、ニコラオス自身の祭日にだと信じられているからである。ニコラオスの祭日は12月6日でユリウス暦を使う場合は目下のところ12月19日に相当する。ドイツなどでは、12月6日はニコラウスの日 (Nicholaustag) といって、この日には良い子は金貨を悪い子は鞭をもらうと信じられている(鞭をくれるのはニコラオスの従者である)。そうして、クリスマスになると、ドイツではクリストキントつまり幼子キリストが贈り物をもってくると信じられて、サンタクロースというものには基本的に出番がない。

サンタクロースというのは聖人崇敬をやめてしまったプロテスタント諸地域で、聖人崇敬の周りにあった風俗を保存するために出てきた代替物のようなものだろうと私は思っている。カトリックと同様聖人崇敬を重んじている他の地域でもサンタクロースというものは基本的には民間の伝承のなかに座を持たない。そういうところでは、ニコラオスは白い縁取りのある赤い服をきた小太りの老人としてではなく、第一ニカイア公会議に出席しアリウスと対立したキリスト教神学者・貧者の救護者・主教の礼装に威儀を正した盛徳の聖人として記憶されている。

ニコラオスは神学的には三位一体論の擁護者なのだが、あまり理論家肌というわけじゃなかったらしい。第一ニカイア公会議では、三位一体説とアリウス説の正しさが争われた。アリウス説では子の先在を否定し養子説を唱えるが、ニコラオスがアリウスに反対したことはいうまでもない。そうしてニコラオスは、たんに議論の上で、異説を否定するだけでは済まなくて、公会議で自説を主張し話している最中のアリウスを殴りつけた。殴りつけて、黙らせた。

聖職者はいかなる場合でも暴力に訴えてはいけないと決まっており、しかもニコラオスがアリウスを殴ったのは公開の席上、なかったことにはできない。ニコラオスは主教職を解任された。解任を決めた同僚たちもさぞかし機微の悪いことであったろう、その夜、彼らの夢にはキリストと母マリヤが現れ、ニコラオスの「暴力」は自分の欲望を満たすためのものではなく神への愛と信仰への熱心の表れであって否定されるに及ばず、と示したという。こうしてアリウス説は否定され、ニコラオスは復職を許されたと伝承は伝えている。このためにニコラオスは囚人、とりわけ無実の罪で捕えられている囚人の守護聖人として崇敬されている。

贈り物の話に戻ると、東方教会――自称して正教会という――圏であるギリシアでもやはりサンタクロースはやってこない。というよりギリシア人にとってクリスマスは贈り物を貰う日ではないと聞いた。門付けよろしく歌を歌って各家を回りお礼に金貨を貰う習慣はあるようだが*2ギリシアではクリスマスに贈り物を貰うかわりに、1月1日、聖大バシレイオス*3(現代ギリシア語では聖バシリス)が贈り物をもたらすという。1月1日はバシレイオスの祭日である(参考:http://www.visitgreece.jp/event/winter-e.html)。

誰が贈り物をくれるにせよ、あるいはくれないにせよ、皆様よいクリスマスをお迎えくださいませ。

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*1:この名前はわりと一般的で――人々の勝利とでもいう意味なんだろうか、新約聖書にも何人かそういう名前の人が散見される。日本聖書協会の翻訳だとニコラオとなる。

*2:歌を歌って回る習慣はルーマニア等にもある。エリアーデが『世界宗教史』のなかでルーマニアの風習を詳しく解説している。おそらく異教時代に遡る起源をもつそうだ。

*3:カエサレアの主教。この人も第一ニカイア公会議の出席者だった。