赤の他人が私に話しかける

旅にでる。汽車(電車にあらず)に乗る。カフェに座る。公園を歩いてみる。そういうときに、話しかけてくる人っていうのがいる。

北海道のローカル線(いまはもうない)に乗っていたら、向かいに座ったおばちゃん(当然知らない人)が「なああんた、これ食べなさい」といって(前置きとか一切なし)すあまをくれた。

九州の九重山系の温泉に入ってたら、温泉の中でお弁当を広げていたご家族が「なあ、あんたもこっちにきて食べんしゃい」というので御呼ばれした。三段のお重に入った見事なおかずに、巻き寿司。「たくさんあるけん、遠慮せんとたんと食べんしゃい」。廃線歩きして結構おなかがすいていたので――というか行けども行けども人家がなく、お昼はどうしようか真剣に困っていて、これは大層ありがたかった。

カッセルのドクメンタ会場のカフェで一日展示会場を歩き回った疲れをほぐしながらハーブティを飲んでいると、頼んでいないワインがやってきた。隣のテーブルのご老人のおごり。奥様に先立たれてひとり暮らし、古美術商をしながら暮らしている。旅人と話すのが心の慰めだという。翌日は車で市内を案内してもらったあと、お宅へ伺い、近所の人が毎週日曜の朝に差し入れてくれるという豆のスープをご馳走になって、階段にかかっている油絵の個人コレクションを見せてもらった。ドイツ印象主義ぽい風景画が多くて、「この風景画は(マックス・)リーバーマン風ですね」といったら、ほんとにリーバーマンの初期作品だった。これと、名前は忘れた作家の退嬰芸術展出典作品だったという風景画の二点がコレクションの目玉だという。静かな、変哲もない風景画を退嬰思想として弾圧し、焼却さえした政治の狂気 (Wahnsinn) ということを、日曜の昼下がり、二人で話した。

フィレンツェB&B、朝になると女主人が朝食を運んでくる。夜になると女主人は鍵を閉めて帰る。そのときわたしは聖書を持ち歩いていて、表紙には十字架が捺してあったので、それが気になったのだろうか、明日はアッシジへ発つという日、女主人はわざわざ夕方に待ち構えていて――というか「ちょっといまいいか」と入ってきて、それでわたしたちはいろいろな話をした。彼女のほうはイタリア人だからお決まりのカトリックだ。いろいろおしゃべりをした最後、去り際に女主人は自分の名前を告げて――奇妙なことだがその一週間のあいだ、私は女主人の名を知らなかった(宿の屋号は知っていたけれど)――わたしのためにお祈りしてちょうだいね、わたしもあなたのためにお祈りをするから("prega per me, prego per te anch'io")とそれはたいそう嬉しそうな笑顔を浮かべて、いった。

台北の郊外、露天の市営温泉で、たまたまいあわせたご婦人とお話をする。少し年上くらいかなと思ったら60代、戦前のお生まれで、だから日本統治時代の国民学校を知っている。「わたしも昔は日本人だったんですよ」と歯切れのよい日本語で云い、明るく笑った。

シナイ山をおりてきて、バスがないことがわかったのでタクシーの値切り交渉をながながとする昼下がり、近くの公園をぶらぶら歩いていると、地元のご婦人たちがわらわらとやってきた。眼があえば挨拶くらいはして、片言のアラビア語で訊かれるまま自分のことなど答えると、昼ごはんを一緒に食べていけというので、ご相伴すればこれはまた見事なご馳走の数々。白いチーズに、オリーヴの漬物、かまどで焼く大きな薄いパン、いろいろの野菜や豆の煮物にローストした鶏、ブドウ、もも、りんご。ひとり英語の分かる女性がいて、いろいろと教えてもらう。シナイにもっとも多いのはベドウィンだがこの人たちはミスリー(エジプシャン)。女性に課せられた禁忌は若干緩いのだと聞いた*1。そういう話をする間にも、おばあちゃんが、にこにこと、皿代わりのパンにいろいろの料理を載せてくれる。小さな女の子がはにかみながらこちらを見ている。アラビア語砂漠の中の村だけれど、水があれば作物が取れるのだと聞いた。サンタカテリーナの野菜は美味だというので、カイロやあるいはシャルム・エル・シェイクへ車で運べば市内のホテルなどが高値に買うのだという。おいしい野菜料理をいただきながら、モーセに率いられたユダヤの民がエジプトの蔬菜を恋しがって泣いたという古事を思う。

民族人種に関係なく、たまたま居合わせた人と笑み交わし、言葉を交わし、歓待する。歓待される。人間はどこにいっても人間で、そして少しずつ違っている。違った場所には違った人がいて、だから旅は面白く、楽しい。

普段の日常生活で外出中に周囲に他人がいる状況で会話することはあるが、だからといって割り込まれたりはされないし、逆に自分がそういう人を見かけて何か突っ込みたくなったとしても割り込んだりはしない。

(中略)

人としての最低限の良心が有れば何をしてはいけないかくらいはわかるはずだ。面識のない人にいきなり話しかけたり、ましてや罵倒するなど正気の沙汰じゃないということは民族人種に関係なく誰でもわかる。

ネットで赤の他人になれなれしくするのはもうやめよう

罵倒のほうはともかく、前半はわたしにはよく分からない。わたしが旅してきた惑星と――実は南米とオーストラリアにはまだいったことがないので断言はしないでおくが――この人の知っているそれとは、だいぶん違う環境と文化のようだ。世の中って、ほんとうに、広いね。

追記:
id:BUNTENさんとid:goto14さんから「ただしイケメンに限る」という返しをいただいた。それは違うんじゃないかなあ(性別の差はありえる、それだけだとは思わないが)、とりあえずわたしについていえば、友人の証言では私にベタ惚れしていたといわれる亡夫ですら「美人じゃない*2」と認めていたので、それはないです(きっぱり)。

むしろid:pollyannaさんのおっしゃる「旅先で緊張感のない顔」というほうが大きいのじゃないでしょうか。そして顔の造作よりは顔の表情の方がたぶん大幅に効いてくるので、愛想のない顔だという自覚がおありの方はすてきな笑顔を人工的に作る訓練をするといいです?(参考*3

*1:ベドウィンの女性なら戸外に出るなど考えられないと聞く。

*2:けどかわいいの、と続くのだが後半はこの文脈では無視してよいと思う。なんせ、ベタ惚れなわけだし。

*3:外食産業などでは、新人研修で笑顔の練習をするところもあるそうです。