ロスコをみる

MARK ROTHKO
川村記念美術館の「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」展、出口近くにある最後の展示室は1964年制作のシリーズに充てられていて、順路からはすこし奥まった袋小路になっていた。4枚のパネルが掛けられたその部屋に入ったとき、最初どれもが真っ黒に塗られているのだと思った。

本展はロスコの連作「シーグラム壁画」(1958年から1959年、図版上)を取り上げており、普段はロンドンのテート・モダンと川村記念に分かたれて収蔵されている作品をあわせて展示している。茶色を基調にしアクセントに同系色であるオレンジと黒を使った巨大な画面構成が「シーグラム壁画」の特徴で、単色に塗った背景に浮遊するような直方体を組み合わせる画面構成は以前からロスコの好んだものだったが、この時期ロスコは急速に色彩を自分の画面から排除していく。
ロスコ NBS-J (ニューベーシック・アート・シリーズ)
以前の黄色や赤あるいは青などを使った対照性の高い色彩配置(図版下)には、当時の批評では現代的な都市の洗練が指摘されたというが、ロスコの造形意図はそこになく、彼自身はその評に大いに不満であったといわれる。そこで同じ構図を維持しつつも茶や灰色あるいは深い紫を多用する50年代末以降のロスコの作品が生じてくる。わたしが眼をとめた作品は、制作年代からは直接シーグラム壁画のシリーズには属していない。しかし明らかにその延長にあって、シーグラム壁画よりもさらに顕著に色彩が排除されていた。

その直前に巨大な展示室でみたばかりのシーグラム壁画のモニュメンタルに巨大な画面には、薄く塗られたアクリルなどの絵具が隙間なく塗られ、直方体がひとつふたつと描かれているのだが、あるいはブラシの大胆な動きが、あるいはパレットナイフや筆による丁寧なしかしやや不安定な輪郭の構成が、初見ではまるでごろんと塊のようにみえる巨大なオレンジや茶の色面にペインタリーな諧調を生み出しており、じっと画面を見つめているほどにやがてそのゆるやかで大きな運動へと、茶とオレンジの温かみにほてりつつ、その微妙な色の変移がもつリズムに自分の生理的なリズムもまた同調していくのを感じるのだが、しかし黒と灰色のパネルが一枚かかった脇を過ぎて導かれる最後の小さな展示室で、わたしが最初にみたものはただ昏い一面の闇ばかりであった。

しかしやがて、目が慣れてくると、その画面の中には焦茶色や茶灰色が浮かび上がってくる。それらの深い色は極めて丹念にゆっくりした筆遣いでパネルへ塗られており、色と色の境界にはごくわずかなゆらぎがあるばかりで、もはや以前の作品にみられた速いブラシ使いは見当たらない。とても深い暗い灰色を地に、それよりはすこし色みをおびた茶の巨大な直方体の色面がやがてゆっくりと浮かび上がってくる。そのとき闇とみえたものは、むしろほの明るく漆のように微かな光を放ちつつ呼吸しはじめる。大きなうねりのようなものがゆっくりと前へ向うのを身のうちに感じる。遠い、海のような、ただ巨大なその暗いつややかな色のない色面へ向って、その運動が画面をみている自分を運んでいく。

未生以前ということばが、自分の脳裏にふと浮かんだ。モーセシナイ山でみたとオリゲネスがいったという「明るい闇」が思い出された。美ならざる美、大ならざる大、光ならざる光、すべての音をなしていわれることばがその前では失われる、その巨大な明るい闇――神の臨在を思った。同時にとても通俗的なゴシップ、作家の身辺のあれこれということが心に浮かんだ。作家の臨終を思った。自らを裁すという、その絶望と孤高とに私は一瞬思いを致そうとしたのだが、それはもはや私の想像できる範疇を超えている。そうして自分に近しいある人の死が心に浮かんだ。

涙がこぼれた。何のための涙ということではない、ただその画面の前で涙が出た。とくに何かが悲しかったということでもない。絵に具体的ななにものも描かれていないように、わたしの涙もまた何かへのものではない。一切の言語を超えて抽象的なもの、ただ在るということへの、いいようのない身振りの前に、わたしたちはただ畏怖する。なにものでもないもの、何かではないものへ向ってまなざされる、何かである限りでのわれわれのたよりないまなざしは、そこで涙以上のことばを持たないのかもしれない。いや、そのようなことばは後付けに過ぎて、それは何のための涙でもなかった。あるいはそれはたんなる生理的反応かもしれない。

川村記念美術館マーク・ロスコ 瞑想する絵画」2009年6月11日まで(公式ページ