わたしの文章修行

文章読本の類を読むようになったのはいつごろだったろうか。中学かあるいは高校の時分だったように思うがよく覚えていない。最初に読んだのが丸谷才一だったのは覚えている。それからとくに自覚的に選ぶということはなくたまたま目にとまったもの手にふれたものを読んできたのだけれど、それは体系だった仕方ではないにしてもわたしの文章の読み方書き方に影響を与えたことに振り返って気がつかされる。

はてなダイアリーで文章の書き方についての諸説が先日来にぎわっているのをみて、自分がいままで通り過ぎてきたそういう書物について、論じるというのでもなく、むしろものづくしのように並べてみたいとおもった。以下、記憶に頼って書くので洩れもあるのかもしれない。たとえばあの谷崎の『文章読本』、有名な本でもありどこかで読んでいてもおかしくないのだが、しかしわたしには谷崎を読んだという記憶がない。あるいは記憶の底に沈積しているのかも知れず、あるいはほんとうに読んでいないのかもしれない。そういう不完全な目録であることをお断りしておく。

文章読本 (中公文庫)
1.丸谷才一文章読本
自宅の本棚にあったのを手にとってよんだ。その頃はハードカバーだった。丸谷才一はあるいは『男のポケット』などの随筆で知っていたかもしれない。父親の趣味で丸谷とか山口瞳とかの随筆が我が家には多かった。

自分にとってはこの類の本のうちはじめて読んだものだけあって、かなり影響を受けているのだと自覚している。とりわけ印象に残っているのはシェイクスピアを使ってレトリックの技法を解説する章、日本の近代憲法二つを比較しながら名文とは何かを論じる章(修辞とは内容があってはじめて意味をなすのだという割と激しい主張)、引用を論じて、これは吉田健一の『英国の文学』からまるまる数段落のまとまったくだりを引いてくる章など――この吉田の文章がまた圧倒的で、英詩に歌われるイングランドの夏を賞玩しつつシェイクスピアの有名なソネット第18番*1に及ぶのだが、シェイクスピアソネットの韻律の完璧と吉田の端正な英訳さらには眼光紙背に及ぶその鑑賞の細やかさに、彼が青年の日々を送ったイングランドの短く美しい生命力に満ちた夏の夕暮れが金色の燐光を撒きつつ淡く消え残り輝いていて、詩を読むということはこういうことであるのかと教えられた。詩の鑑賞ということでは、丸谷を通じて知った吉田の文章と、水原秋桜子の俳句についての書物がわたくしのなかでは双璧を為している。もちろん丸谷の文章自体も、個々の文章技法を扱った章がそのままその技法の展開を試みるという趣向を凝らした野心的なもので、なるほどジョイスの翻訳者らしい好みだなとこれはだいぶん後になって彼の英文学者としての仕事を知って、思った。

長々と書いたが、この本の教えをただひとつにまとめろといえば「ちよつと気取つて書け」ということに尽きる。文章を書くということ他者に向けてことばを発するということを平坦な日常的なことではなくて精神の高揚を伴った投企として考える、それを丸谷は気取りといっているのだが、つまりこの書が教えていることは一面でレトリック、修辞の公共的機能ということではないかと今にしておもう。他人にみせる目的で文章を書くということは公共に向ってものを云うこと、公共の生活に言語をもって参与するということであって、個々の技法はその矜持なしにはおそらく実質を失い小手先に堕すのであろうと思う。

文章読本 (中公文庫)
2.三島由紀夫文章読本
この書を知ったときには、もう大学生になっていたかと思う。なかなか面白く読んだのだが、とりたてて特別なことを云っていた覚えがない。むしろ三島がいっていたのは奇をてらうな、あるものをあるままに描写せよ、ということであったように思う。風呂に入らない厚化粧の女と清楚にしてはいるが白粉に手の出ないかわいそうな貧しい女、というのは丸谷才一の二つの憲法のところに出てきた話なので、あるいはわたしが記憶の中でごっちゃにしている虞はあるけれども。

とはいえ三島が鴎外の『寒山拾得』を引いて、そのなかの「水が来た」つまり水を器に入れて人が運んできたというのをそのように簡潔に云ったのを激賞し、凡俗の作家ならいろいろと綺羅を飾って長々とそのくだりを書き器のなかの水の反映にまで及んで数行に渡って描写し却ってつまらないものにしてしまうのをさすがは鴎外であるといって、それは架空の小説の一節を三島がその説明のために書いたのを、どう読んでもこれは『仮面の告白』や『金閣寺』の作者の文章であって、作家というのは「駄目なもの」を書いてすら己がにじむというのは興味深く思われた。というより三島が鴎外の簡潔さを尊んだということ自体が面白く、三島という人は実は自分の文章がそれほど好きでなくしかしああいう風にしか己の世界を著すことのできない人だったのだろうかといろいろに考えさせられる。たしかに三島の最後期の作品には刃のような簡潔さがときにみえたりもするのだが――それよりは漢文体の世界を己のものにしていた世代とそうであった世代がかつてあったことを知りつつ自身はもはやそのようではない世代の間にある憧憬と断絶なのかもしれない。

日本語の作文技術 (朝日文庫)
3.本多勝一『日本語の作文技法』
上の二人は小説家だがこちらは新聞記者。字数の制限が厳しいところでなるべく平易に簡潔に書くという仕事をしてきた人が、カルチャーセンターの授業の講義録を文章に起こしたという点でも、上の二つの書物とはなりたちが違っている。この本の句読点のやり方はいろいろな人に影響を与えているらしく、わたしも一時期倣ってはみたのだがどうもわたしの書くというか語りのリズムとはそりが悪いらしい、結局いまでは墨守するということは已めている。いっぽうで「私は」という句を文のどこに置くかという注意は、初稿を書くときにはたいてい忘れているが推敲の際には従うことが多い。つまり「わたしは本多のこの本はよい本だと思う」というよりは「本多のこの本はよい本だとわたしは思う」と書けという教えで、これは読者やさらには口頭講演の聴衆には負担がかかりにくい、よい指針だと思っている。一般に最後まで読まないと文の内容が把握できない文は受け手には負担がかかり、なるべく次が自然に予測できる構造のほうが親切ではある*2

このほかに井上ひさしもなにか書いていたように思うが詳しく覚えていない。井上は国語辞書についていろいろ書いていたように思う。わたしが愛用している『岩波国語辞典』を褒めていてなにやら嬉しかったのを覚えている。

読者のみなさまにもそれぞれ御鍾愛の文章読本がおありかとおもう。ブックマークコメントなりコメント欄なりあるいはご自身のブログエントリなりで教えていただければ幸甚に存じます。

Inspired by:

*1:"Shall I compare thee to a summer's day? / Thou art more lovely and more temperate"

*2:レトリックにはそこを崩して驚きを誘うという技法もあるが(たとえばよく出来た隠喩やあるいは対句というのはたいていそうである)、ものには順序というのがあるので、親切な簡単な文章を書くことをまず心がけるほうがいいのだと思うし、そして何事でもそうだが技芸においてもっとも難しいことは単純なことを完璧にきどりなく自然になすということではないかと思っている。