なんかみんな笑っているようだけれど

一般にはあまり知られていないのかもしれないが、博士課程の就職は、修士課程よりずっとずっとずっと厳しい。これから、不況なのだから、なおさらだ。子供が人生を棒に振ろうとしているのに、黙って静観していてはいけない。子供が怪しげな宗教に入ったら、金を積んででも脱退させようとするだろう。博士課程に進学するというのは、怪しげな宗教に入るのと同じぐらい、リスキーなことなのだ。子供をぶん殴ってでも止める価値がある。

http://anond.hatelabo.jp/20090117074753

これ文系の場合はほんとうにそうだから!!

わたしの場合はほとんど親と絶縁したようになって、育英会奨学金だけでD1までは生活してた。でも奨学金が取れなかったら首を*1っていたかもしれない。家庭教師のバイトはしてたけど、それでもそれだけじゃ食べていけなかった。それに大阪じゃ、東京より相場がずっと安かったのだ――教師の単価があるんじゃなくて、生徒の学年で単価が決まる市場だなんて、移住するまで知らなかった。うちの研究室はバイト禁止だったし、最初の一年は学芸員資格も取るつもりだったので(結局取らなかったけれどね)、授業もきつきつにいれてて、結局バイトする暇はなかったと思う。あとで父がこっそり仕送りしてくれたので、授業料は何とか払えたけど、ときどきはご飯に焼いた味噌だけでしのいだときもあったよ(以前に書いたシステマティックな台所は、その極限状態のなかで健康を維持しかつ勉強に使える時間を極大化するために考案されたものである)。

TAという制度が始まって、計算機センターに当時いたM先生が声をかけてくださったり*2、あるいは結婚して、夫が好きに本を買えるお金をくれたときにはほんとうに嬉しかったなあ。それまでは本を買うお金が最低限しかなくて――ほしい本が買えずになんどしょんぼりと道を歩いたことか。教授が理解のある人で講座費でほしい本を沢山買ってくれたからよかったけど、演習で使う本など書き込みがしたければ、やはり自分で買うほかなく、Felix Meiner のペーパーバックの本を一冊買うと、3千円とか5千円とかが消えていった。月額7万5千円の奨学金から、学費を払う分の積み立てをして家賃を払うと5万円しか残らなくて、美術史の演習で博物館に無料では入れるのは嬉しいけど交通費は自分で出さなければいけないから、結局月に使えるお金は食費も込みで4万円とちょっと。修士課程のときには、小銭が落ちてないかなあと道の縁をみながらいつも歩いていたものだ。

誇張してないよ。これが貧乏人が文系の院へいくということなんだ。文学研究科を出たあなたならそれにうなづいてくれるだろう。なおわたしがいった院は、戦後できた新しいところの割には、そこそこには名前の通ったところで、それでも、まあそんなものだ。私大の、新設されたところなんて、どうなのか想像もつかない。

いま私は無職で、遺族年金でちんまり暮らしているのだけれど――免除職どころかそもそも就職しなかったので奨学金500万余はすべて返済した。がんばって金策して一括返済したので少し安くなったが、やっぱり大変だったよ――そうして、それを後悔はまったくしてないのだけれど(なにしろ院にいかなければ、うちのんとも一緒にならなかったし、それをおいても私はドイツ思想を研究したことで自分の人生はいいようなく豊かなものになったと思っている)、それを人には勧めない。これをいいと思うのが少数派だろうってことくらいは想像がつくし、そうでない人にまで勧めるようなことじゃないと思っている(万一お勧めして世を儚むようなことになったら寝覚めが悪いよね)。この国で文系が博士後期課程にいくというのは、一切の望みを捨てるということと同じことだ。もっともシェリングは哲学を志すものは、一切の望みを捨てよといっていたので、思想研究というのはそもそもそういうものなのかもしれないけれどね。

この道をいく喜びは、必ずしも物質的に報われるものじゃない。それを知っているから、わたしは進学を人には勧めない。むしろ反対する。後輩たちが院にいこうかどうしようか迷っていると相談してきたときには、つねに強硬に反対してきた。ほんとうにこの世界に向いている人は、どんなに反対したって必ずやってくる。自分もそうだったし、わたしとは違って無事就職した友人たちもそうであるのを知っている。大学を出たあとだって、35歳くらいまでは就職がないのがあたりまえ、どころか40歳すぎて非常勤、主たる収入源は塾講師というような人はほんとうにいくらでもいる。

そういうのが日本の文学研究科を出た人間のありうる将来だというのは、学生さんもそうでない人も知っていていいと思うんだな。理系のポスドクの人は、だいぶん重労働らしいけど、それでもまだ文系からするとうらやましい身分なんだというのもこの際だから書いておこう。文系なら、博士課程でたあとは、たとえD持ちでも非常勤ひとつで月収2万円ないとか、もうざらなのでね。京都の大学出た人でも、そんなひといくらでもいるんだよ。まじで。

わたしの学部のときの師匠だった先生――この人は後に京大の教授になった。ほんとうにあれこそ研究者というのだと、わたしたち学生は畏怖もし尊敬もしていた。研究室で付いた綽名は Thinking Machine という――、その先生が、あるとき私にいったことがある。研究者には才能があったらなれるというものじゃない。才能なんか院に来るくらいの人ならみんなが持っている。運だよ、運がなければ就職は出来ない。ぼくが教師になれたのは運がよかったからだ。ただそれだけだよ。才能があるから、教師になれるなんてもんじゃない、これはよく覚えておきなさいよ。

これでいいと思ってるわけじゃない。でもこれが今の現実だ。そしてアカデミアの外にいる私は、もう傍で見ているだけだ。そういうわたしからみれば、反対するだけして、入ったら全力で支援するようにという親への助言は、ブックマークコメントにも書いたけれど、ほんとうに正しいと思うよ。わたしのように、親ならぬ配偶者が全力で支援してくれた場合でも、だめなときはだめなんだ。文系で院にいくなら、ほんとうに周りが支えてやってほしい。心が折れることには、この業界ほんとに事欠かないのでね。

追記。理系はいいなとか単純にうらやんでいるわけではない。ポスドクの方の生活をそれほどつぶさには知らないけれど、亡くなった夫が工学系であったので、まったく知らない世界ではない、といっても許されるかと思う。だから、ユーモラスに書かれているけれども、http://d.hatena.ne.jp/yukitanuki/20090116/1232097084には思わず涙した。

*1:id:karatteさん、ご指摘ありがとうございます。

*2:1年生相手の情報活用基礎という授業のTAをさせていただいた、これは文系のための情報リタラシー教育には文系の研究が分かっている人をいれるべきだというM先生のお考えが根底にあって、授業を担当していた先生も同じ大学の文学部を出てから奈良先へいかれた方だった。