偏差値25から受かる大学受験

偏差値25から受かる大学受験

どうみても釣りタイトルだがこれは実話である。体験談である。体験談であるから、このエントリで紹介される学習法が万人向きである保証はない。ただしこの勉強法で7ヶ月*1勉強して偏差値40台の大学に次の年の春には合格した、そんな受験生が20年前にいた。ただそれだけの話である。

あらかじめの前提

いまは3月で、ここに偏差値25の子がいて、来年の2月に大学受験があって、本人はそもそも大学に行く気もないのだが、親はそうではなく、そうしてお金を貰って家庭教師として教える立場としては、お金を貰っている間は大学へ合格するための勉強を教える、これはそういう話である。なのでここでは日本の教育を論じたりそういう子が大学へいくことの意義を論じたりはしない。なおその受験生であるが、やる気はないが、粗暴さはなく、いわれたことはやらなければいけない(たとえ完全に出来ていないときでも)という一定の倫理感は備えていたように思う(育ちのよい子なのである)。

受験生、といったが一浪生であった。割と後がない。裕福な家庭の子で、わたしはその家庭教師をしていた。わたしのほかにもうひとり家庭教師がいて、実はその方が最初やはり紹介で家庭教師をしていたのであったが、一身上の理由でやめたいといったところ、紆余曲折して英語と国語はわたしがみて社会はその方が引き続きみることになった。というわけで社会科でどのような学習法をしたのか、わたしは概略しか知らない。概略しか知らないので、ここで紹介することもしない。ゆえにこのエントリの情報はそもそも不完全なものである。あと浪人生であるから予備校にはいっていた。代ゼミだったように覚えてるが、記憶はそれほど定かではない。

家庭教師をしたのは週に一時間、宿題を出しておいてその点検をし、その場で課題をやってもらい、最後に次の週までの課題を出すという方式を取った。当初は年間通しての努力目標も立てたが、すぐにそんなものは捨てた。偏差値25をなめてはいけない。偏差値25の子に勉強を教えるというのは、砂漠に水を撒くように一切の努力が実らないようにみえる仕事で、個人授業でもこうなのだから、これを集団教育で教えるというのは何かが根本的に間違っているとおもうが、これはあくまでも体験談なので日本の学校教育を論じたりはしない。閑話休題

なおそういう事情であるから、これは独習者向けの方法を解説するエントリではない。そもそも以下に紹介する勉強法を独力で実行出来る人なら、偏差値25にはならないとわたしは予想する。独習せざるを得ない人は、最低でも、誰かペースメーカーになってくれる人なりシステムなりをみつけることをお勧めする。一緒に勉強する友達と相互に進捗チェックする手は案外悪くないだろうと思う。

国語

というよりは現代文対策。

新聞の1面のコラムを毎日ノートに書き写す。いまではどこのもネットで読める。朝日なら「天声人語」、日経なら「春秋」といったところ。ノートに書き写したら写し間違えがないか確かめる。それから声に出して読む。もし可能ならば三回くらい繰り返しできるとよい。

読み方がわからない漢字が出てくるので、それは教師に聞くか、または親にでも教えてもらうのがよい。もちろん理想をいえば辞書を使うのがよいので、漢和辞典で最初の字を調べてよみをみる、というのが正道だが、最初のうちは書き写すだけで生徒には結構しんどいので、それくらいの助力を周囲がしてやってもよいと思う。一ヶ月くらいたったらさすがに辞書で調べる習慣を身に付けさせるほうがよい。

受験参考書や必勝法といったものには「新聞の一面コラムを要約する」というような勉強法が紹介されているが、そういう高度な技は偏差値50くらいになるまで取っておくのが無難である。そもそも偏差値25くらいだと、書き写しをやっても誤字なしに完璧に書くことは難しいし(というより高校生は一般にそれほど字を沢山書く習慣をもっていない)、さらにそのあとの読み上げでもこれなんて読むのという字が続出して、そこで精魂尽き果てるというのが実情である。要約なんかしなくていいから、書き写すのと読み上げるのと、このふたつをただし毎日続けることである。たったそれだけと思うかもしれないが、偏差値25くらいの生徒では、だいたい最初のうちは、とくに漢字のよみを自分で調べさせる場合には、この作業に1時間程度かかると思って間違いない*2

そうして夏休みが終わった頃から並行して志望校および同レベルとされる大学の過去問を解く作業を受験勉強に組み込んでいく。過去問を解く練習は最低でも週に1回は行いたい。本番と同じ条件で解く(鉛筆・決められた時間)などを守るようにする。その場合も「書き写しと読み上げ」は毎日続けること。

模試の結果は気にしないほうがいい。成果が目にみえて現れるのは早くても10月か11月になる。どういうわけだか分からないが経験的にはそうで、それまでずっと偏差値25だった模試結果がある日50以上になって戻ってくる。あれはなんでなんでしょうね。プラトー効果でもあるのかなあ。

古文はここでは捨てているが、余裕があるようなら、徒然草でも読むのがよいだろうか。始める時期の目安としては、辞書なしで新聞コラムが読み上げられる程度か。読み上げと品詞分解を徹底的にさせること。品詞分解の要諦は助詞助動詞の連結にあって、なので助動詞については活用を完璧に頭にいれておくことが必要である。毎日の課題に助動詞活用表の朗読(というのは最初から暗誦などできっこないから)を加えるとよいだろう。

英語

学習指導要領が変わって、細部は対応が必要かもしれないが、根幹はあまり変わらないだろうと期待したい。第二言語学習の基本というのは変わらないのだから。ともあれ体験談に戻ろう。

読解と作文を指導する。どちらにも高校1年生のリーディング用の教科書を用いる。ほんとうは中2用がよいのだが、中2の教科書を使うというとたいていの大学受験生は屈辱のあまり心が折れるらしい。軟弱者め現実をみろよと思うのだが、受験勉強に差し支えるほど心が折れては本末転倒なので、そこは妥協をして高1用を使っている。なのでこの勉強法は純粋に学力そのものには最適化されていない。ご注意。

ここでも基本は声に出して読むことと書き写すこと。ただし声に出して読む量は増やす。具体的には

  • 教科書の1ページ分を声に出して読む。発音の分からない単語にはチェックをする。
  • 書き写す。この時点で語義の分からない単語にはチェックをしておいて、さきほどの発音の分からない単語とともに、単語集なり辞書なりで調べる。
  • 再び声に出して読む。

これを毎日1ページづつ行っていく。教科書の最後まで来たら、最初に戻って同じことを繰り返し行う。次の(つまり高2の)教科書に進んではいけない。まあ10周くらいしたら、高2の教科書に進んでよいけれど。余裕が出てきたら、一度に読み書きする量を1ページづつ増やしていく。ただしここでもあまり無理はしないこと。

ここで私の場合は「頭から読む」方式を導入して、訳文を作らせるということはとくに教えない。頭から読むというのは英単語を出てきた順に日本語に置き換えていくメソッドで、これは以前に詳しく紹介したのでそちらも併せてご覧下さい(訳すな、頭から読め - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake)。大学受験に必要な程度であれば、翻訳の指導というのはとくにしないでもよいと考えている。むしろ偏差値25では、訳文を作るのに必要な日本語を書く能力に欠ける憾みがあり、そこで翻訳などさせると、かなりつらい作業になる(経験談)。それよりは基本的な短い英文を入れていくことを考えたほうがよい。

ある程度この「読み上げと書き写し」を続けていくと、だんだん滑らかに朗読できるようになってくる。英作文はその時点で初めて導入する。読解で使った教科書の既習箇所から*3、教科書には付き物の、各課ごとの主要な構文とその練習問題を解いていく。指導者に余裕があれば、問題を補ってもよい。

英語についても、夏休みが終わった時点で、過去問を解く作業を導入する。

むすびに

再度断っておくが、わたしはこの方法が誰にでも当てはまるかどうかは知らない。たぶんそうではないだろう。ただ、この方法で、4月には(というよりは10月までは)総合・科目別とも偏差値25だった生徒が、11月に受けた模試ではいきなり偏差値50台になり、大学にも合格したというのは事実である。ここまで極端ではないが、同じようにあまり成績のよくない生徒さんに似たような指導を試み、やはり合格に至った例は他にもいくつかある。

文中にも書いたが、わたしが教えた生徒の場合は、成果がなかなか現れなかった。学習する側だけでなく、指導する側にも多大な忍耐が強いられる。学習する側はおそらくもっとストレスを感じているだろう。現に「勉強がしんどいので、もういいです。おとなしく行けるところへ行きます」*4ということでおやめになる方も相当にいた。その方々がその後どうしているのか私は知らない。

たんに私は自分が指導した生徒を浪人させたことはないし、成績が下位の生徒については上述のような指導を行ってきた、ただそれだけの体験談である。ご参考になれば幸いです。

Inspired by:

関連エントリ:

*1:もし受験直前まで続けていたとすれば9ヶ月。ただしわたしは確認していない。

*2:1時間以上同じ科目を勉強するというのは相当集中力があるかその科目が好きでなければ苦痛を伴う作業だが、もちろんそのどちらも備わっていないから偏差値25に甘んじているという冷厳な事実を、親も指導者も、まず受け入れることが必要である。

*3:すなわち「読み上げと書き写し」を行った箇所。高校の教科書なのだから理窟の上ではすべてが既習箇所なのだが、ここではそれは忘れる。

*4:私大付属に通っている生徒にはこれが多い。諸般の事情で別の大学に行きたい、あるいはそのなかの特定の学部学科に行きたいという理由で家庭教師を付ける家庭が当時は結構あった。いまもあるのかは知らない。