うどんの国へいく

……じゃなくて、OSC香川へいくのであります。

日程:2011年2月5日(土)10:00-18:00 (9:45受付開始)

会場:サンポートホール高松 ホール棟1F 市民ギャラリー(受付・セミナー)
              タワー棟 4F/5F e-とぴあ・かがわ(展示・セミナー)
   [香川県高松市・JR高松駅前 徒歩3分] [アクセスマップ][フロアガイド]
※ご来場の際には、『ホール棟1F、市民ギャラリー』前のOSC受付で、当日のプログラムをお受け取りください
費用:無料

内容:オープンソースに関する最新情報の提供
・展示 - オープンソースコミュニティ、企業・団体による展示
セミナー - オープンソースの最新情報を提供

主催:オープンソースカンファレンス実行委員会

共催:e-とぴあ・かがわ
   情報処理学会四国支部(第2回四国オープンソースセミナー)

オープンソースカンファレンス2011 Kagawa - オープンソースの文化祭!

わたしは「ひょうごんテック」のスタッフとしてブース展示にいるほか、夕方からのライトニングトーク関西ウィキメディアユーザ会のメンバーとしてエントリしています。タイトルは「あなたのまちのWP10」、WP10こと一連のウィキペディア10周年記念行事についてお話しする予定です。

 ウィキペディア10周年感謝のつどい・ご報告

ウィキペディア・プロジェクト(現 http://wikipedia.org) は2011年1月15日、開始から10年を迎えました。各地でさまざまな記念行事が行われました。まだこの後に予定されている催しもあります。例としては東京で2月にパーティーがある模様です

わたしが所属する関西ウィキメディアユーザ会でも、「ウィキペディア10周年感謝のつどい」を開催しました(協賛・株式会社はてな他)。総計で30人強の出席者がありました。主催者のひとりとしては、みなさまにお楽しみいただけたかと考えております。

はてな京都本社セミナールームでの講演会では、主催者にはじまりウィキメディア・コミュニティのからの歓迎のあいさつに続き、http://yamamomo.asablo.jp/blog/ 當山日出夫先生のご講演をいただき、質疑および歓談の時間を持ちました。歓談中は、日本各地のウィキペディアンからごあいさつをいただきました。その後、近くの坐・和民 烏丸三条店に場所を移してパーティーを行いました。

参加登録にはDoorkeeperをもちい、完全事前入金制としました。そのため当日は現金の受け渡しがほとんどなく、受付作業はだいぶん作業が軽減されました。それでもまだ不手際があり、今後は改善していきたいと思っております。

参加者のみなさまにはウィキメディア財団から提供された特製Tシャツとピンバッジを記念品としてお渡ししました。10周年記念に制作されたものです。ピンバッジはいくつか種類があり、どれも10の数字に添えてさまざまな言語の文字でウィキペディアと書かれていて、参加者のみなさんは「これは何語だろう」等お互いに話しながらバッジを選んでおられました。

当日の模様は、関西ウィキメディアユーザ会のイベント報告ページおよびこの催しの統括責任者である同会メンバーまっきいさんのブログをご参照ください。関西ウィキペディアユーザ会のページでは、参加者のみなさまからいただいたブログなどの言及もご紹介しております。

会場をご提供くださった株式会社はてな、当日の運営をはじめさまざまにご協力くださったはてなCTO田中さまをはじめとするはてなスタッフのみなさま、講演をご快諾くださった當山先生、設営や広報にご協力くださったウィキメディア・コミュニティ内外の団体・個人のみなさま、そしてさしたる実績もないわたくしどもの会にお運びいただいた参加者のみなさまひとりひとりに、篤く御礼申し上げます。

ジミー・ウェールズは10周年によせたビデオレターのなかで「(10周年の記念行事で)できるだけたくさんの新しく出会った人と言葉を交わしてください」という趣旨のことをいいました。ティン・チェン(ウィキメディア財団理事長)はビデオ通話によるあいさつのなかで、「日本のウィキペディアンはすばらしいことを達成してきた。今後にいっそう期待している」という趣旨のことをいいました。記念行事、里程標は既往を懐古するためのものであるより、さらにその先へ、目標を目指し進むためのものです。ウィキペディアの最初の10年は実り多い歳月だったとわたくしも思いますが、それが一時の花火か、知の大河への濫觴となるかは、今後のわたしたちひとりひとりの活動にかかっていると思います。わたしたちのこのイベントが、ウィキペディアとその姉妹プロジェクトのさらなる発展への一過程であったと後に思えるよう、今後とも精進していきたいと思っています。

(29日追記)

講演会のビデオ録画をネット公開しました。

Wikipedia 10 Kyoto Party (recorded ustream video) from aokomoriuta on Vimeo.

基調講演は當山先生に御願いしました。先生ご自身にはなぜ講演依頼されたのかとまどいもおありだったようですがウィキメディア・コミュニティとのお付き合いを以前からいただいていた(ウィキメディア・カンファレンス・ジャパン2009でのスピーカーのひとりだった)ということもあるのですが、それ以上に昨年9月のARGフェストで伺った當山先生のウィキペディア観を興味深く感じ、これをもっといろいろな方と共有できたら、と思ったのがきっかけです。もとより出席人数では、感謝のつどいはARGフェストに到底およばないのですが、ウィキペディアンあるいはウィキペディアに興味がある一般の方と、ARGフェストに集っていたどちらかといえば専門家の集団とは、層が違うだろうとも思いました。結果からいえば、その予測は半分当たり、半分はずれていたようにも思います。つどいにご来会くださった方は、学生や一般の社会人もいれば、研究者もいて、それだけ色々な方がウィキペディアに注目し、関心を持ってくださっているということかと思いました。

これを励みに、いっそうウィキメディア運動の発展に尽力していきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

オイスターソース味おでん

世間は2010年を振り返る企画一色だが、しかしこれを書かずにこの一年を終えるわけにはいかない。

というわけでオイスターソース味おでんなのであります。これは Twitter で@asarinさんから教わった。@asarinさんは Cookpad で見つけたらしい。きわめて簡便で、しかも肉や魚を使わないで出汁が取れるのが個人的にはツボです。今月は、大根と厚揚げとタコのぶつ切りをこれで煮たものを温めなおしては、食べていました。

さて作り方。

  • 湯を沸かす。
  • オイスターソースと塩を適量加える。
  • おでんだねを加えて火を通す。
  • 煮立ったところで火を止めて、しばらくおいて味を染ませる。
  • できあがり。

何度か試行錯誤したところ、水1リットルにオイスターソース大さじ1くらいの割合がちょうどよいようである。塩加減は好みで。塩の味を感じるほど入れてしまうとやや辛いようである。

煮立ったらすぐ食べられるが、最低でも1時間くらいは置いて味を染ませたほうがよい。味が染みておいしく感じられるには半日ほど置いたほうがいい。宵に作ったものなら次の朝といったところか。

おでんだねはなんでもよいが、大根は入れてほしい。大根とオイスターソースは出会いだというのはもっといわれてよいと思っている。

 お知らせ: ウィキペディア10周年感謝のつどい

2011年1月22日に、関西ウィキメディアユーザ会では、ウィキペディア10周年感謝のつどいを開催いたします。
ウィキペディア・プロジェクト(現 http://wikipedia.org) が2011年1月15日に開始から10年を迎えることを記念してのものです。

ウィキペディア10周年感謝のつどい」は講演会とパーティーの二部からなります。
講演会ののち、近くの場所に移動して引き続きパーティーを行います。

なお、開催後に残金が出た場合は、当会の会計に繰り入れた上、配布物の作成や今後のイベント出展時の経費などに使われます。

プログラムの内容は以下の通りです。

  • 講演会(16:00 - 19:00)/会場:はてな京都本社セミナールーム
    • 當山日出夫様(立命館大学グローバルCOE 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点 客員研究員)に基調講演をいただきます。
    • 講演終了後、若干の歓談時間があります(軽食あり)。
  • パーティー(19:30 - 21:30)/会場:坐・和民 烏丸三条店
http://kansai.wikimedia.jp/wiki/WP10

誰でも投稿できるオンラインの百科事典として知られるウィキペディアは2001年1月15日に米国のジミー・ウェールズ氏の発案により開始されました。当初は英語のみでしたが、同年3月にはドイツ語など他の言語によるウィキペディアも設置されました。日本語版ウィキペディアも同年に設置されましたが、実質的な活動は2002年に始まりました。現在ウィキペディアは200を超える言語で展開されています。世界で5番目にアクセスされるウェブサイトであり、かつ非営利のウェブサイトとしては世界で最もよくアクセスされています(Google調べ、2010年11月)。またウィキペディアは、ウィキメディア・プロジェクトとして知られる辞書やデジタルアーカイブなどのさまざまなウェブサイトの母体ともなりました。現在、ウィキペディアを含む9種類のウェブサイトが「すべての人が全人類の知識の総体へ自由にアクセスできる世界をつくる」ことを目指して活動しています。

この10年間、ウィキペディアはつねに、ボランティアの投稿者をはじめとするさまざまな協力者の献身的な努力によって支えられてきました。ボランティアは記事の作成にとどまらず、サーバやネットワークを管理し、ウィキペディアで使用されるウィキエンジン MediaWiki を開発し、あるいはウィキペディアに関するイベントや講習会を企画・運営し、そのほかウィキペディアに関わる活動のあらゆる面を支えています。またウィキペディアを資金面で支えてきた、のべ何万もの寄付者の方々のご協力も忘れることは出来ません。ウェールズ氏の個人プロジェクトだった最初期を除き、2003年のウィキメディア財団設立以来、ウィキペディアは多くの方々の善意に支えられる非営利の活動として、運営されてきました。このようなみなさまからのご支援に感謝するため、わたくしども関西ウィキメディアユーザ会では、ウィキペディア10周年感謝のつどいを開催いたします。

現在、日本語版ウィキペディアは全言語中6番目に記事数の多いウィキペディアです。2002年にウィキペディア日本語版の実質的な活動が始まってから、短期間で記事の数は増加し、ウィキペディア日本語版は一時期は英語版・ドイツ語版についで全ウィキペディア中3番目に記事の多いウィキペディアとなりました。一方で、同じ時期に、ドイツやフランスにはじまり、さまざまな国で、ウィキペディアとそれに関わる活動を、たんにウィキペディアやその姉妹サイトの総称である「ウィキメディア・プロジェクト」のウェブサイトの維持と発展ということではなく、ウェブサイトを基盤としつつ「知識への自由なアクセス」をより包括的に実現するための活動を、それぞれの地域社会や関連する団体と関わりながら展開することを目指し、ユーザ団体「国別協会」の結成が行われるようになりました。2004年からはじまるドイツ語などの一部の言語でのCD版ウィキペディアの発行支援、講習会「ウィキペディア・アカデミー」、美術館や博物館などとの協働プロジェクト「GLAM-WIKI」は国別協会の事業の好例です。日本では近年までこのようなネット外のウィキペディアの活動は組織的には行われてきませんでしたが、2009年11月の Wikimedia Conference Japan 2009(東京)にはじまり、各地域の有志が集ってウィキペディアについての活動を行うことが徐々に増えてきました。関西ウィキメディアユーザ会もまた、そのような有志の団体のひとつとして、関西地区に住むウィキメディアン有志により、ウィキメディア・プロジェクト参加者の交流や情報交換さらには他団体・個人との協働を促進することを目指して、2010年9月15日に設立されました。

ウィキペディアはつねに、ボランティア・コミュニティのオープンで国際的な連帯を基盤として展開してきました。国際的な協調はウィキペディアではつねに重視されてきました。わたくしどもの「感謝のつどい」も、そのようなウィキペディアの国際的協調の一端です。10周年を記念して各国でさまざまな行事が行われます。京都以外の他都市での10周年記念行事については特設ウェブサイト http://ten.wikipedia.org をご覧ください(コンテンツは主に英語です)。

「すべての人が全人類の知識の総体へ自由にアクセスできる世界をつくる」ミッションの実現へ向けて、現在、ウィキメディア財団では "Global South"、南アジア・中東・アフリカでのウィキペディアの利用と参加を促進するプロジェクトを推進しています。感謝のつどいでは、ウィキペディアのこの10年を振り返り、誰でも参加できる百科事典という原点に立ち返るとともに、このような最近の国内外の活動をご紹介し、ウィキペディアのこれからを京都から展望する機会を持ちたく思います。

みなさまのご参加をお待ちしております

続・Gewaltapparat の初出?

承前

以下に書くことは Google Books 等の検索結果をまとめた私的なメモである。

「国家は…… instrument of violence*1 / Gewaltapparat である」とする定式化は広くマルクス(ときにはマルクスエンゲルス)に帰されている*2。この定式化は1960年代にはマルクス主義者以外にも広範に知られていた*3。しかしこの語はそれとしてマルクスの著作中には登場しない可能性が高い。marxists.org に収録されている、手稿を含めたマルクスの著作中に Gewaltapparat という語は登場しない。一つの可能性としては、1910年代の共産主義者によるマルクス受容のなかで、マルクスの国家観、すなわちアレントの言葉を借りれば "the state as an instrument of violence at the command of the ruling class"(Arendt (1969:1))という把握が Gewaltapparat という表現に凝縮されたと予想されるが、これはあくまでも予想である。ともかく、1920年代にはこの定式は少なくともドイツ語圏で使われるようになっていた*4トロツキーレーニンに結びつける指摘もあり、そうであればソ連においても事情は同様であったろう――毛沢東における用例は、ソ連で刊行された本への読書ノートにその本からの引用として登場している。しかしここでいう「暴力装置」は、支配階級がもつ抑圧の道具としてそのようにいわれているのであり、統治の担保可能性や政府による暴力の独占の概念と直接にはむすびついていないことは留意したい。

一方、instrument of violence / Gewaltapparat は国家が独占する暴力ないし強制力の個別的形態についても現代では使われる。そのようなものとして言及されるものとしては軍隊と警察が代表例であるが、秘密警察やときには裁判所や監獄といった司法制度の全体がそのように呼ばれることもある。この文脈での G. はしばしば複数で、そのような個々の制度を指すものとして使われる。先のマルクス主義的国家観とこの用例の間に直接の関係があるかどうかは不明であるが、1980年代にはこの用例はそれとして英語においてもドイツ語においても確立していたように見受けられる。その比較的早い例として、ここでは Brake(1970)(full title: Joseph Brake, "The Organization As Instrument of Violence: The Military Case", Journal of Sciological Quarterly, Vol. 11, No.3, Summer, 1970.)を挙げておく。たんに Google Books の収録状況を反映しただけかもしれないが、この用例については英語圏、というより米国が早い可能性に現時点では留意しておきたい――つまり日本における学生運動共産主義の退潮といったような地理的にも思想的にもローカルな状況とだけ結びつけられるような話ではないだろうということでもある。

なお当方は機関に所属せずこの手の広範な資料調査が可能な状況にはないので、この件については引き続き諸賢のご教示をいただければありがたい。

*1:ドイツ語 Gewaltapparat (暴力装置、また翻訳の文脈によっては権力機構とも)に対応する英語は instrument of violence である。

*2:例として毛沢東(1961-2)

*3:例としてArendt(1969)

*4:直接共産主義者の国家観を指すかどうかテキスト全体を未見なので筆者には不明だが、カール・シュミットは Staat als sinnloser G.とする国家観について批判的に言及している。

Gewaltapparat の初出?(追記あり)

結論からいうと私にはわからないんですけどね。Grimm の Deutsches Woerterbuch 第1版にも出てなかったし。

でも Gewaltapparat がヴェーバーと関係ないってのはないとおもうな。暴力装置のほうは知らないけど。

おそらくこの「暴力装置」という言葉は福田歓一の影響であろうと思われる。上にみたようにヴェーバーの独占について述べた箇所には装置という意味合いは含まれていない。このようにして、「暴力装置」という神山茂夫の用語は、左派、右派含め広まっていき、そして今や社会学用語集や政治学の教科書にまで掲載されるようになった、というわけである。

http://d.hatena.ne.jp/catisgood/20101121/1290326392

百歩譲って日本語としてそうなのかもしれませんが、Google Books に収録されてない論文などいくらもあるでしょう(苦笑)。しかし即席に調べるにはなかなかよい手法ですね。

というわけでわたくしも調べてみました。Google Books で暴力装置に対応するドイツ語 Gewaltapparat + "Max Weber" を検索します。すると2001年刊行の Gesamtausgabe, Volumn 22 (『マックス・ヴェーバー全集』第22巻) に

... innerhalb des politischen Gewaltapparats unmöglich eine Stätte finden können. ... mit dem allen politischen Bildungen zugrunde liegenden Gewaltapparat hat die verschiedensten Arten von Spannung und Ausgleich gezeitigt. ...

Google Books snippet v. Max Weber, Wirtschaft und Gesellschaft in Max Weber Gesammtausgabe, Bd. 22-1, hrsg. Baier et al, Mohr, 2001.

とあるそうです*1。いちおう中身も見てみた。390ページにあります。どうみても本文中です。Weber の言葉です。編者注釈とかじゃなくって。

Other editions という機能があって、それによれば Wirtschaft und Gesellschaft, Volume 3, Part 1, 1925 (『経済と社会』第三巻、第一部)というのが書名なんだがスキャンされた表紙には Grundriss der Sozialoekonomik (「社会経済の基礎」)とあります。イキ副題かね。TBいただきました。書名が『経済と社会』副題が「社会経済の基礎」だそうです。

22日追記: zeno.org(というドイツ語のオンライン原典集)をみると、むしろ『社会経済の基礎』が書名で「経済と社会」が収録論文名らしいそして Weber は1920年没なのでこれは遺稿集なんですかね*2。正確には「経済と社会」第二部第五章「宗教社会学(宗教的団体の諸類型)」第11節「宗教的倫理と『世界』」に登場する。ええと、ということはid:t-kawaseさんの領域なのかしらこれは(無茶ぶり)? 可能でしたらヴェーバーないし宗教学におけるこの著作の位置づけについて識者のご教示を希望します。追記ここまで。

ともかく、ここが初出かどうかは知りませんが、1925年刊行の Max Weber の著作にはすでにこの語が使われています。神山茂夫の1939年の著作」より14年も早いよね。かつこれは遺稿なので実際の使用はさらにそれ以前へ――1920年あるいはそれ以前へ――さかのぼります。それになにより、Gewaltapparat または複数形の Gewaltapparate でググったら、あほほど、ではないけど千のオーダーでヒットしますよ。ドイツ語だけでも。日本語だけのローカルな概念ではない、ということと1934年に考案された概念ではないだろう、ということは指摘しておきます。まあ神山の暴力装置と Weber の Gewaltapparat が直接関係するとは主張しないので為念(だって事情を知らないし)。

なおドイツ語としては Gewaltapparaten*3 と複数で使われることも多くて、さすがにこれは一般語ではないからか、括弧付けして「軍隊や警察」と補っているのを、いくつかみました*4

22日追記。私は社会学法哲学については勉強していないので、以下は雑駁な感想になるのだが、しかし Gewaltapparat というのはそれほど熟した概念ないし学術用語なんだろうかという素朴な疑問がすこし沸いてきました。それなりに使われている語だけど、学術用語というには微妙に党派性を帯びた言葉であるようにも感じるのだよね。いや社会科学一般がそういうものなのかもしれませんが。ぼくはノンポリ人文学の出身なのでそこはほんとうにわからない。もっともこれは G. という奴はアカだけだという卑近な意味でいっているのではなく、管見の限りで得た以下の印象に基づきます。1)ドイツ語の用例をみていると旧東独系の訓詁学的な術語上の厳密さをもった言説のかおりや平和運動系の方の発言が多い気がする。2)zeno.org に収録されるような20世紀前半までの古典的著作にはあまり使われない語で、Weber にも出てくるが中心概念という趣ではない。かつ zeno.org における用例はこの Weber の著作とあともうひとつニュルンベルク裁判の記録以外にない。学術用語というにはちょっと使われてないんじゃないだろうか。気のせいかな。このあとで Google Books には刊行年代で絞り込む機能がついていることに気がつき、検索をかけたところ、1970年代以降の政治学をはじめとする社会科学のほうで盛んに使われていることがわかりました。そしてその語義は、とりわけ複数形で使われる場合には(論者の立場はさておき)「Weber 的な国家に独占された暴力としての暴力装置すなわち警察と軍隊」でほぼ整合的に解釈できそうな感じでした。なので本当にぼくの気のせいで、現代ではふつうに学術用語なのかもしれない。いっぽう、ブックマークコメントでid:md2takさんにご指摘をいただいたのですが、Weber に出てくる Gewaltapparat はむしろ「権力機構」と訳すほうがよい。管見の限りでは、この語義での用例は少なくとも19世紀に遡ります。そしてレーニンら20世紀初頭の社会主義者の用例もこちらに属するんじゃないかという気がします。こちらが学術用語といえるのかどうかは、まだよくわからない。高級語彙には違いないんだけどね。

なお、そこでこのニュルンベルク裁判での G. が誰の発言に登場するかというと米国側検事団の Thomas. I.(sic). Dodd (英語版ウィキペディア)なので、「G. とかいう奴はアカだ」というのは偏狭な先入見じゃないかとも思うわけです*5。まあ、Dodd 氏自体は英語で instrument of ほにゃらら (violence?) といったのではありましょうが。追記ここまで。

つづき。続・Gewaltapparat の初出? - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

*1:なおここで Gewaltapparats と s がつくのは単数属格形。英語の所有格にあたる。

*2:ここでドイツ法ではこれはPDなはずなので Google Books は全部みせてくれてもいいはずなのに、みせてくれません。ひどい。

*3:これはうっかりミス。Apparat m. -s, -e なので複数主格は -apparate となる。-n がつくのは複数与格のみ。

*4:なおここで興味深いのは Google Books でみた限りは Weber 自身には "Gewaltapparaten"と複数で使う用法がない可能性があるということだ。このあたりはヴェーバー専門家のコメントを期待したい。22日追記。単複についてではないがコメントをいただいた。いわゆる「暴力装置」と「経済と宗教」でのG. の違いについて。http://b.hatena.ne.jp/md2tak/20101122#bookmark-26709573. ただしご指摘のなかで英語を経由させて論じる部分は私にはその意図が理解できなかった。

*5:そういう人もいる可能性は否定しない。