くたばれニッポン

 貧困がどんどん広がってきて、ちょうどコインの裏側に、過労死をうむ労働が増えるという関係にある。実際の労働市場の中で起こっていることは、非正規が負け組で、正規が勝ち組などという話ではなくて、「過労死するほど働くか?」、「生活できない貧困にとどまるか?」という「過労死か?貧困か?さあどっちにする?」と言われているような状態だ。

貧困か?過労死か?「ノーと言えない労働者」つくる自己責任論が全労働者を貧困スパイラルに陥れる | すくらむ

夫がいた職場がそれほど苛酷なものだったかといえば、たぶん疑問がある。それでも鬱病を病んだ彼が休職を願い出たとき、上司がそれを許可しなかったことは確かで――「なあ、もうちょっと頑張れんか」――そうして彼はちょうど一日半あと、職場のある建物の7階から、墜ちて死んだ。だから、ノーといったからといって、事態がいつも動くというわけではない。あるいはノーということそのものに「精神の筋力」が必要だということかもしれないが。

7年たった今でもその場所にいくと、彼が墜ちたところには、そこだけ生垣がえぐれたようになって残っているだろう。2年前にいったときには、少なくともまだそうだった。土がもともと黒いので、多少は零れたはずの血痕も早い頃から見えづらくなっていて、そうして花を供える人も絶えた今では、そこで誰かが死んでいたということを知る人ももはや少ないだろう。職場で彼が親しくしていた人たちも大概別のところへ転じていった。彼がいたセクションは紆余曲折してほとんどそのままその職場に残っているが、あと数年でその上司も退職していく。

上司を恨めたら楽だったのかもしれない。でも彼がどれだけ上司を慕っていたのか知っていた私には、それは難しかった。だけれど、おそらくは4ヶ月近い闘病の後に彼がようやく休職を口にした時、職務規定上は正当なその申し出を封じたのもその人で、だからそのことを私はこよなく残念に思っている(それは直接に申し上げた)。その一方で、不思議と、わたしは彼のかつての上司を恨む気持ちにはなれなかった。その前でわたしの夫を返してくださいと口にしたくなったことも二度ならずあったけれど、その言葉は結局わたしの口からは出なかった。彼を失ったことで、上司がどれだけ打ちのめされているのか、そのことがむしろ痛々しかったからか。それは同志というか共犯者の連帯のようなものだったのかもしれない。

上司は上司なりに精一杯彼を慮っていたことは別に誰にいわれなくても私にもわかっていた。他の人も同様。ぎこちない配慮と自覚のない無思慮が幾重にも重なって、そうしてわたしたちはみんなで彼を追い詰めていった。そう思っている。もっと以前にこうなる前に折り返し点は幾度もあったのだろうけど、わたしたちは――彼自身を含め――結局それを防げなかった。

私はあるときは自分を責め、あるときは他人を憾み、ときには私を棄てた彼自身を憎んだ――自死遺族の教科書通りの反応である――けれども、結局だれか個人の責に帰するような問題なのではないということも、あまりにも明証的であった。比喩でなく、わたしはこの国を、社会を、いまでもどこかで怨み憎んでやまない。誰にいうでもなく、街の雑踏のなかで、わたしの夫を返してくださいと叫びたくなることが私にはあって、それはある種の狂気だろうけど、でも私にとってはそれが己を規定しているもっとも深い感情のひとつであることに変わりない。

そうして誰かを憎めば人は壊れる。それが自分自身であろうとも。あるいは人称を持たない何かであろうとも。わたしの心は一度壊れて、そこから抜け出るにはやはり数年を要した。私はいま自分自身と彼と、そうしてこの国をも赦し、そうして同時にそのすべてに絶望している。あるいは憎むかわりに絶望したというべきだろうか。畢竟、此岸に救いはない。彼はもはや我々のもとには帰ってこない。わたしはそのことを承知していて――しかしわたしの心はまだそれを信じていない。どこかで私はいつか彼が戻ってくることを待望しているのである。哂っちゃうよね。でもこの前のKOFの後始末をしているときに、そのことに気づいた。自分がよいと思うような世界を作るという以前に、わたしはどこかで彼がいたいと思うような世界をしつらえていれば、いつか彼が戻ってくることがあるかのように感じているらしいのである。まったく馬鹿馬鹿しいはなしだけど、でも私にとってはそうなのだからそれは仕方がない。

わたしは日本を一面では愛し、一面では否定している。日本文化の諸相を愛するがとても全肯定する気にはなれない。改革者というのはなべてそういうものだ、愛しつつ憎めばこそそれを変えようとするのだ、とある友人にはいわれたが、自分が改革者なのかどうかは分からない。どちらかといえばわたしは書斎の人間である――観察し、沈思する。たまに来客と語り、思いを書き留める。ただその根本には、いまの日本は受け入れられないという思いが深く横たわっているのは確かである。それはとても無条件で肯取できるようなものではない、残酷極まりないシステムによって支配され収奪されている、人が素直に幸せを追求できない歪んだ世界である。ソドムとゴモラの罪はその前には七十七倍軽い、それが我々が生い育ち、いまも生きている社会である。そこに数々の善き人がいても、それでもその罪を覆うことはできない、それが我々の社会である。罪人たる我々の社会である。そうではないとあなたが仰るのなら――わたしの夫をわたしに返して下さい。

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