文学部学生のための第二言語学習ガイド

文学部学生のための第二言語学習ガイド

新年度が始まった。そうして新入生が入ってくる。Twitterのタイムラインでも新歓行事などの話題がぽつぽつ見られるようになってきた。

いまこれを読んでおられる方にも、ことし大学に入ったばかりの方がおられると思う。入学おめでとう。

いまから書くのは文学部に入った方のための外国語/第二言語学習ガイドである。欧米思想や文学を専攻しようと決めている方を念頭においているが、他分野でも一部は通用するかと思う。反対に国文学や国語学など、院試に外国語がひとつでいいような分野では、それほど訳にたたないかと思う。他分野の方にはもっと役に立たないかとも思うが「文学部の学生は何をどうやって勉強するのか」というひとつの例としては、あるいは面白く読めるかもしれない。*1

なお、以下では大学院進学を前提にしているが、これは決して院への進学を勧めるためのエントリではない。断じてない。進学はご自分の責任で、かつご自分の責任でのみ決断し、行ってください。また併せて以前のエントリなんかみんな笑っているようだけれど - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake をお読みいただければ幸いである。貧乏な院生生活の悲哀について思い出話を書いてみたのだが、知人にきくところ、10年以上たったいまも事情はたいして変わっていない、局地的にはもっと悪くなっているようである。

はじめに読む本

千野栄一『外国語上達法』と白井恭弘『外国語学習の科学』は、どの言語を学ぶにしても、先立って読んでおくとよいだろうと思う。外国語学習について全体的なパースペクティヴをもつのに役に立つ。この二冊については最近外国語学習について新書を読んでみた - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wakeで取り上げたので、詳しくはそちらをご覧下さい。

英語

なんのために身につけるのかで力点の置き方と学習法は多少異なる。学部のうちに国外へ出ることを考えている人は(交換留学など手段はいろいろある)、読み書きだけでなく聞き話す能力もある程度見につけたほうがよい――いっぽうで友人知人をみる限りは、学部で留学した人は、最初は多少おぼつかなくても口頭コミュニケーション能力が急激に上昇するようだ。なので聞き話す能力を日本で向上させることにはあまりこだわらなくてもよいかもしれない。

留学を考えていない人、あるいは専攻が英語以外の言語を主に用いる分野である場合(独文とかあるいは史学で英語圏以外を対象にする場合)でも、英語能力はある程度あったほうがいい。少なくともいまある英語能力を落とさない程度には使ったほうがよい。読み書きを中心に、余力で聞き話す能力を向上させていく。読むほうはたいていは授業で使う文献を読むので質量ともに十分だとは思う。ていうか私は泣きながら授業で渡されたコピーを読む以外の意識的な学習は学部時代英語の読みについては行っていません……(そして大抵未読のものが残った状態で次の週が始まる)。

書くほうは意識的にする必要があって、わたしは受験用の英作文と学部の英作文の授業で使った教材を主に使った。特に効果的だったのは A. Lovejoy (ed.), History of Ideas の各項目を要約するという練習で、ええとでもこれの項目ってのはちょっとした論文なので、初心者は段落要約から始めたほうがよいと思います&受験英語終わったくらいの人は原文に歯が立たないと思うので(わたしはそうでした)、平凡社から出ている翻訳を参照したほうがよいと思います。ヒストリーオヴアイディアズ叢書(分冊)か一冊本の『世界百科大事典』が図書館に入っていると思う。

第二外国語

具体的に何をやるかというのは個人の事情で異なるのだが、あなたが文学・西洋史・西洋思想などを専攻するならドイツ語・フランス語は必須である。このあたりはウンベルト・エコが『論文作法』で詳しく書いているが、ドイツ文学を専攻する場合でも、重要な論文がフランス語で書かれている場合というのがあって、知らないではすまされない、ということがある。エコは「無学への許し」と呼んでいるが、イタリアの場合は英語・ドイツ語・フランス語は必須で、対してロシア語はまあ知らなくても許される。ここで他の国では多くイタリア語が加わるので(たとえば西洋美術史を専攻してイタリア語が出来ないというのは許されない)、イタリア人はチートだよね、てのはおいて。

近代語

上で書いたように、ドイツ語とフランス語と両方をやるのがよい。ここで「第二外国語をもうスペイン語(等々)で登録しちゃったよ!」と悲鳴を上げている人がもしいるとしたら――院に進学しようとする人にとっては、第二外国語履修で何をやるかというのは大した問題ではなく、もしそれが大きな影響を及ぼすとしたら、あなたはそもそも進学に向いていないのだといっておく。職業研究者で、いまはフランス思想など中心に読んではいるが、学生時代に履修した第二外国語スペイン語だのロシア語だのであった、という人は存外に珍しくない。ドイツ語とフランス語、両方は無理だと思う人は、もっと進学に向いていないので、専攻を変えるか、進路そのものを考えるかしたほうがよいだろう。

ただこうした第二外国語は、日本国内で研究をしていく限りでは、読めさえすればよく、書ける必要さえないので、読む能力の向上だけを考えておけばよい。要は受験英語の延長だが、最初は発音や会話なども入れて覚えていくほうが学習効率はよい。NHKラジオ講座の初級編は昔はどれもおすすめできたのだが、さいきんはそもそも「初級編・応用編」という区切りがなく、週日既習者向けの内容を流していたりもするので(2009年度4月期「まいにちスペイン語」など)、無条件でお勧めすることはやめておく。わたしはフランス語については、とくに学習書を使わず、NHKラジオ講座で学習したのだが、それでとくに困ったということはない。

とはいえ学習書でみっちりやった場合にそれなりの功徳があることも確かで、とくに専門で使う言語・院試で選択する言語は、そうしたほうがよい。ドイツ語については関口存男がいまも一番よいのじゃないかなと思う。

ラジオ講座や学習書などで初級文法を終わったら、文献を授業でちょっとづつ読む間に、自然と身についていくと思う。ただし効率よくやろうと思ったら、100字程度の短いものが沢山収録されている初学者向けの読解用問題集などで、ある程度の量を読んだほうがよい。これは院試対策にもなる。院試で第二学国語に作文を課す大学をわたしは寡聞にして知らないのだが、もし志望校で出題されたことがあるなら、4年生になってからでも作文の練習をしたほうがいいだろうとは思う。院試向けの具体的な勉強法についてはいずれ稿を改めて書きたいと思う。

古典語

これに一部の分野では古典語(ラテン語ギリシア語)が加わる。ただし日本ではどちらにも無学への許しが及んでいて、知らないと往生するということはあまりない。ただし西欧語の文法概念は古典語文法から多くを継承しているので、どちらかをやっておくと他の言語の学習にもよい影響がある。とりわけラテン語をやっておくと、ロマンス諸語をやるときにある種の下地が出来るように思う。

ラテン語をやったらギリシア語もついでにやっておくとよい。量的にはこの追加はそれほど負担にならない。それにラテン語文法をやったところでラテン文学など読めないのだが(文法やっただけでは読めないというのは複数の古典文献学者から聞かされた)、ギリシア語は文法をやればだいたいのものは読めるようになるので、いろいろとお得でもある。人によってはここで新約聖書など読み出したりするのだが、新約聖書ギリシア語というのはネイティヴギリシア人が書いていなくて、文法的にも怪しいのが多く、そういうものを初期に覚えるとギリシア語感が怪しくなる。超やめといたほうがよい。それよりはむしろクセノポンとかのアッティカの古典を読んでいくほうがよい。プラトンの初期対話篇も安心して読める。中期は逆にかなり語学的には難しいので、初心者はやめておいたほうがよいでしょう。

語学授業と実践の間

大学で習う語学というのは、一部の大学を除けば、もっぱら講読のための技能開発であり、なのでこのエントリでも会話能力の涵養はあまり念頭にはおいていない。ただし、ひとつ覚えておきたいのは、大学に入って文法を習い身に付くレベルと、講読に必要なレベルには大きな差があるということだ。

わたし自身の例を出すと、結局、大学を出る年まで、ということは6年目になるまで、語学は全然出来なかった。三年生のときに出た尚武さんのヘーゲルのゼミは1回で1ページという標準的なペースである上に今から思えば『大論理学』なんか出てくる単語も決まっていてむしろ語学的には超易しいはずのテキストなのだが、これがぜんぜん読めなくて、結局それは途中で出るのをやめました。申し訳ないです。そのあともゼミで当った箇所を翻訳するのに、ということはせいぜいペーパーバック1ページ分の分量なわけだが、1回の分担を訳しおわるのに3時間かけていた。これは学習法がそもそも間違っていて、(ヘーゲルとかじゃなくて)平易なものを大量に読むこと以外に解決策はなかったのだが、そのことに気づいたのは卒業する年の夏休みも近かった。まあそのときにはカントというこれも語学的には比較的癖のないテキストを読んでいて、だいぶドイツ語慣れもしていたのだが。それで関口存男の当時は三巻本だった『初級ドイツ語講座』を上げて――この学習法は種村季弘先生*2がなさったということを先輩から聞いて、なんでも種村先生は『初級ドイツ語講座』を解くこと10周に及んだということである。わたしはそこまで根性ないので2周しかしていないが、たしかにその後は、以前に比べればすこしはドイツ語は読めるようになった、ような気がする。

学部のうちはまだよい。院に入った時点で、いや分野によっては卒論を書く時点で、二次文献を大量に外国語で読む必要が生じてくる。そのためには必要となる言語については、初級文法を徹底的にやり込んで、ものにしておく必要がある。だいいちそうでなければ効率が悪い。後になればなるほど忙しくなり、初級文法をみっちりやる時間はなくなってくる。学部のうちに、理想をいえば二年になるまでには、英語以外にもうひとつは言語をものにしておきたい。ただし言語学習のこつが分かってくるのは三つめの外国語からだという説もあって、これはわたしの体験からいえばなるほどその通りなので、最初のうちは必要からだけでなく、好奇心から色々手を出してみるのもいいんではないかという気もする。また上にも書いたとおり、わたしが本格的に語学をものに出来るようになったのは、在籍6年目にしてであって、遅すぎるということは案外ないのではないかとも思っている。院に入ってからフランス語もドイツ語もはじめた、なんてひとだって世の中にはいる。なんにせよ、学んだことが無駄になるということは研究のうえではそうそう起こらない。貪欲にいろいろと手を出すのがいいんではないかと思う。

これから卒業までの数年間、充実した時間にするにもただなんとなく過ぎてしまう時間にするにも、それはあなたの選択と行動にかかっている。卒業のときに振り返って、充実した日々であったと思えるような過ごし方をされることを祈りたい。

*1:私の亡夫(専攻は計算機科学)ははこの手の話題をとても面白いと思っていたようで、なので、そういうひともあと他にひとりふたりいるかもしれないので。

*2:追記。勘違いしたのだろう。お名前を間違っておりました。ううう。